いつも穏やかで優しい人って素敵ですよね。
でもそんな思いやりの心に溢れた人こそ、心に大きな傷を負っていることも。
今回は、筆者の友人から聞いた、聖母のような優しい祖母の悲しい過去についてのエピソードをご紹介します。
画像: 絶対怒らない優しい祖母が【90歳の誕生日】に初めて明かした『悲しい過去』に → 思わず涙、、、

絶対に怒らない祖母

これは、最近亡くなってしまった祖母の話です。

私は、いつも優しくて孫想いな祖母が本当に大好きでした。

嫁姑関係だった母も『嫁いびりは一度もされたことがない』と言うほど。

祖母をとても慕っていて、そんな母にいつも優しく接する祖母の関係は、まるで本当の親子のようでした。

実の子である父でさえ
「怒った姿は一度も見たことがない」
と断言しています。

私たち家族だけでなく、ご近所さんからも愛される優しい祖母の姿が、いつしか私の理想の大人像になっていました。

祖母の誕生日

そんなある夏、祖母が90歳の誕生日を迎えました。

これまでずっと笑顔を絶やさなかった祖母が、急に泣き出してしまったのです!

その視線の先には、お寿司やケーキなど奮発した食事が並べられている食卓がありました。

私はもちろん、両親もほとんど見たことがないという祖母の涙に混乱していると......。

初めて語った悲しい過去

「こんなに長生きできたのは姉のおかげ」
「姉がいたから私が生きていられたの」

そう言って、祖母は涙をこらえながら昔話を始めました。

それは、これまであまり話したがらなかった戦時中の話。

父親や兄弟たちはみんな軍隊に駆り出され、姉が母親代わりだったと話す祖母。

姉は自分の分の食べ物をすべて祖母や幼い妹たちに与えていた結果、早くに亡くなってしまったのだということでした。

『優しい姉の恩を忘れないように』
『優しい姉を忘れないように』

そう姉の死を悔やんでいるうちに、怒りという感情もなくなっていったのだそう......。

思わず涙

悲惨な戦争の話や、その日生きるのにもやっとだったという話を聞いて、思わず涙が止まらなかった私たち。

『戦時中のことを風化させてはならない』と強く感じました。

それから祖母が亡くなるまでの間、なるべく戦時中の話を聞いてはメモを取り、次世代に伝える活動をしています。

【体験者:20代・女性会社員、回答時期:2024年8月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:一瀬あい
元作家志望の専業ライター。小説を志した際に行った女性への取材と執筆活動に魅せられ、現在は女性の人生訓に繋がる記事執筆を専門にする。特に女同士の友情やトラブル、嫁姑問題に関心があり、そのジャンルを中心にltnでヒアリングと執筆を行う。


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