超高齢化社会を迎えている日本では、認知症の患者さんも増加しています。介護など家族が抱える問題も多く、トラブルを引き起こすことも少なくありません。これは筆者の祖母のお話。数々のトラブルをチャラにした祖母の最期の一言とは?
画像: 迷子、万引き、大暴れ──トラブルばかりの【認知症の祖母】→ でも家族が全て許せた『最期の言葉』

頑固者の祖母

私の祖母は95歳で他界しました。
とても元気な人でしたが、80歳頃から認知症の症状が現れ始めて、私の母や叔母たちが何度も受診を勧めても「絶対に病院には行かない!」という頑固な人でした。

祖母は地方の着物問屋の娘で、普段から着物が大好きな人だったのですが、あれほど慣れていた着付けがうまくできなくなったことがきっかけでした。
それでも私は、小さい頃からとても可愛がってくれた祖母が大好きで、認知症について勉強を始めたのです。

初期症状

祖母の様子は認知症の初期症状だと思われました。
近くのスーパーへ買い物に行って家に帰れなくなったり、レジで精算をせずに万引きと見なされて警察沙汰になったり、妄想で大暴れしたりと数々のトラブルを引き起こす事態に。

私の母や叔母たちが交代で介護をしていたのですが「お金を盗られた」「私をいじめる」「殺されそうになった」などと妄想を言い出すこともありました。
以前の祖母とは全く変わってしまった様子にショックを受け、介護をしていた身内はみんな疲弊していったのです。

2ヶ月の入院

ある年の年末、祖母が自宅で転倒し、大腿骨を骨折するという事故が起きました。
入院は2ヶ月に及び、その間に認知症も進行。

しかし、あれほど嫌がっていた検査も入院中に受けることができて、すでにかなり認知症が進行していることがわかったのです。
その頃には、祖母も人が変わったように大人しくなり、私の母や叔母、孫の私たちのことも忘れてしまっているように話をしなくなっていました。

再入院、そして……

骨折の症状も良くなって、退院してから1ヶ月くらいが経った頃、叔母から祖母が肺炎で再入院したと連絡がありました。
すぐに病院へ駆けつけると、祖母はすでに危篤状態。
急なことでみんな動揺していました。

すると、ずっと眠っているような状態だった祖母がいきなり目を見開いて「みんな、来てくれたの?」と話し出したのです!
これには医師や看護師も驚いていました。

最期の言葉

祖母は空を見上げるような目で「ありがとうね」とつぶやきました。
その後、大きく深呼吸をして祖母は息を引き取ったのです。

優しいけれど頑固者……認知症の症状に身内はさんざん振り回されましたが、母や叔母、孫たちはみんな「おばあちゃんらしいね」と一言。
今までのことは全てチャラにできるような、祖母らしい素敵な最期でした。

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:RIE.K


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