不妊治療は長く続けば続くほど苦しく、精神的にも経済的にも辛い治療です。そんな不妊治療中の私に、肺がんで余命2週間を宣告された父がかけてくれた言葉についてお話します。
画像: ftnews.jp
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先の見えない不妊治療

結婚をして10年。いつまで経っても子どものできる兆しがなく、私と夫は近所の産婦人科で紹介された、不妊治療専門の病院に通院することになりました。

さまざまな検査を受けてもどこにも異常はみられず、医師のアドバイスのもとタイミング法を試してはいたものの、なかなか子どもは授かりません。
次は人工授精を試そうと夫や両親に相談すると、「そんなの自然じゃないからだめだ」と夫の両親から反対されました。
「このままタイミングをとって様子を見よう」と夫は言うけれど、私は早く子どもが欲しかったため、強引に人工授精の予約を入れてしまいました。

結局険悪な雰囲気のまま人工授精にチャレンジし、初回は失敗。その後何度も人工授精にチャレンジしましたが、結果には結びつきませんでした。

早く子どもが欲しかった理由

なぜ私がそんなにも早く子どもを欲しがっていたのか。それは、私たちが不妊治療を始めた半年後に、私の父がステージ4の肺がんの宣告を受けたからでした。

なんとか父に孫の顔を見せたい、その一心で私は不妊治療に躍起になっていました。そんな私に母は「無理することないよ」とは言ってくれていたものの、「お父さんも頑張ってるんだから、私も頑張る」という私にどこか期待しているようでした。

もし子どもができたら、初孫の顔を見たら。父の身体に気力が戻ってくるかもしれない。そう信じていたのです。

しかし抗がん剤治療を始めた父の身体は日に日に瘦せ細り、髪が抜け、ふっくらとしていた頬も削げてまるで別人のように変わっていきました。

余命2週間の宣告

抗がん剤を何種類か試したものの、父の身体を蝕むがんには全く効果が出ませんでした。そして私と母は父の主治医に個室に呼ばれたのです。
「残念ながら、手の施しようがありません。もって2週間です」
父の主治医の言葉に、私と母は言葉を失いました。こらえきれず泣き出した母から目をそらすように、見上げた窓からは灰色の空と、そこから降り注ぐ雪が見えたのを覚えています。

「お父さん、調子どう?」
目を腫らした母を父に会わせるわけにもいかず、私は一人で父の病室に戻りました。
「ああ…今日はマシだよ」
抗がん剤治療が体に堪えて、父はもう一人で起き上がることができません。それなのに私や母の前では調子良さそうに振る舞う、強がりなところがありました。

強がりな父の言葉

「お前は大丈夫か?」
急に父が私にそう尋ねました。
「不妊治療、辛いだろ」
「うん…でも大丈夫だよ」
余命2週間なのに、きっと体中痛くてたまらないのに。父はまだ私の身体を心配してくれていました。
「俺は孫なんていらないよ。お前たちが仲良く、元気にしてくれたらいい」
「…ありがとうね、お父さん」
父は疲れたのか、そのまま目を閉じて眠ってしまいました。
私はその寝顔を見ながら、父が何年も前に「俺は孫を助手席に乗せてドライブに行くのが夢なんだ」と言って、退職金でスポーツカーを買ったことを思い出していました。
「ごめんね、気を遣わせちゃった。でもありがとう…」

その日からちょうど2週間後。激しく雪が降る寒い朝に、父は自宅で息を引き取りました。最後の最後まで私と母のことを気にかけてくれた、自慢の父でした。

ライター:緑子

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