筆者の話です。
子供の頃はカロリーなんて気にせず、おやつや夕飯をモリモリ食べていました。
そんな状況を母が作ってくれていたのですが、大人になった今、母が口にした “ある一言” が、ずっと心に残っています。
画像: 「あの頃は食べさせるのに必死だった」「でも──」共働きだった母からの『後悔の言葉』に、ドキッ

おやつと一緒に待つ放課後

私が子供の頃、両親は共働きで、学校から帰っても家には誰もいませんでした。
それが当たり前の日常。
家に帰ると、食卓の上には母が用意してくれたおやつが置かれていて、弟と2人で食べながら帰りを待つのが習慣でした。

母は調理の仕事をしていて、帰宅は早くても18時頃。
玄関の扉が開く音がすると「おかえり!」と声をかけるのが、なんだか嬉しかったのを覚えています。

夕食は「手作り」が基本

母は仕事から帰ると、疲れた顔ひとつ見せずに、手早く夕食を作ってくれました。
30分も経たないうちに何品ものおかずがテーブルに並びます。
出てくる料理はどれも山盛り。
育ち盛りの私たちはとにかくよく食べたので、食卓はいつもにぎやかでした。

お給料日には「今日は焼肉だよ!」と笑顔で声をかけてくれて、父が2kgものお肉を買ってくることも。
外食は高くつくからと、家での焼肉パーティー。
どれだけ食べるか競争するみたいに、弟と夢中で食べたものです。

『健康のこと、もっと考えれば……』

私も弟も、とにかく食べるのが大好き。
子供の頃からずっとぽっちゃり体型で、大人になってもそれは変わりません。
今では健康診断で「生活習慣病予備軍」 と言われることもあります。
そんな私たちを見て、ある日母がふとつぶやきました。

「忙しかったから、とにかく食べさせておけば元気でいると思ってた。でも、もっと健康のことも考えればよかったかな」
その言葉に、私も少しドキッとしました。

大切な思い出

たしかにそうかもしれません。
でも、弟と「お前が一切れ多く食べた!」とか「肉ばっかり食べて怒られてたよね」なんて笑い合いながら囲んだ夕食の時間は、私たちにとって何よりも楽しく、温かい思い出です。
母が作ってくれた食卓は、今も私たち姉弟の宝物。
あの日々があったからこそ、今も笑顔でいられるのだと思っています。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年5月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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