セレクトショップの社員でありながら、モーニング娘。OGの高橋愛さんがリーダーを務めるアイドル(ダンス&ボーカル)ユニット【ゴキゲンズ】でも活動をしている女性がいます。その人こそ、【ビームス】で働く藤井早希子さん。ショップスタッフ、プレス、プロデューサーと着実にキャリアを進めてきた藤井さんが、アイドルもしている理由をたどりながら、本業と副業を持つよさを探っていきます。まずは藤井さんが【ビームス】でプレスとして働くまで。

学生時代はギャル! 幼い頃から筋金入りのキラキラファッション好き

画像: 藤井早希子さん/1990年生まれ、東京都出身。2013年に株式会社ビームスに入社し、ショップスタッフ、プレスを経験。2024年春より株式会社ビームス クリエイティブ ビジネスプロデュース部にてプロデューサーを務めている。 出典:ビームス

藤井早希子さん/1990年生まれ、東京都出身。2013年に株式会社ビームスに入社し、ショップスタッフ、プレスを経験。2024年春より株式会社ビームス クリエイティブ ビジネスプロデュース部にてプロデューサーを務めている。

出典:ビームス

――藤井さんがファッションに興味を持ったきっかけから教えてください。

藤井 幼い頃からファッションに興味があって、小学生の時にはピチレモンやnicolaといったティーン向けのファッション誌を読むのに夢中でした。109やラフォーレ、アルタに通える環境で育ったので、雑誌に載っているものと同じアイテムがほしくて小学生の時から109に行っていましたね。

画像: 大学時代の藤井さんとお友達。 出典:ビームス

大学時代の藤井さんとお友達。

出典:ビームス

藤井 中学時代はあゆがカリスマでギャルになりたくて、Popteenに自分が映ったプリクラを送って、載せてもらって喜んだり(笑)。アルバイト代は全部洋服に消えていた時代でもありました。キラキラキラしたものはずっと好きで、大学時代はアクセサリーショップの【クレアーズ】でバイトをしていましたね。

就職は福祉かアパレルかで迷い、ビームス社に入社

――就職活動はアパレル業界一本でしたか?

藤井 大学では社会福祉学科を専攻していて、老人や子どものために働きたい思いがありました。一方でファッションの道も捨てがたいっていう、極端な二択で。大学3年の時、社会福祉士の国家資格を取得するための実習に行ったんです。実習の時、自由にファッションを楽しめないことに違和感を覚えて、今自分が自分らしくいられる環境を優先することにしました。

――若いからこそできる仕事ってありますよね。

藤井 アパレル企業を何社か受けて、そのうちの1社がビームス社でした。ビームス社はファッションがベースにありながら【ビームス レコーズ】があって、フジロックの協賛もしているので音楽の要素もあるし、当時はカフェやアイスクリームショップといった飲食もしていて。ファッション以外の視野が広がりそうだと入社しました。

画像: デコラティブなネイルアートは、キティちゃん。少しごつめの【ビルウォールレザー】のリングを合わせて。 出典:ビームス

デコラティブなネイルアートは、キティちゃん。少しごつめの【ビルウォールレザー】のリングを合わせて。

出典:ビームス

――アパレルの中でもいろいろな職種があります。特に志望した職種はありますか?

藤井 雑誌のスナップにプレスがよく登場していたので、漠然と憧れはありました。でもプレスって具体的にどんな仕事をしているのか、それすらわかっていなくて。わからないからこそ、プレスとして働いてみたいと願うようになりました。

個性が強い先輩方に埋もれないよう、自分らしい外見を模索した日々

――入社後1年半ショップスタッフとして働いたあと、2014年9月に念願のプレスに異動されます。

藤井 プレスはスタイリストさんや媒体への貸出業務が基本で、先輩について実地で学ばせてもらいました。今まで雑誌でしかお名前を知らなかったスタイリストさんとお仕事ができるのが本当に嬉しくて、早くお役に立ちたい、自分を頼ってほしいと思いながら仕事をしていました。

画像: プレスに配属されたばかりの2014年。 出典:ビームス

プレスに配属されたばかりの2014年。

出典:ビームス

――プレスになった当初は24歳。年上のスタイリストや編集者を応対するのは大変じゃなかったですか?

藤井 貸出業務って相手が希望するものをただお渡しするのではなく、しっかりヒアリングしてより意図に沿うものを提案することが本質だと考えています。だからお話を聞くだけでは全然次に繋がらないんです。スタイリストさんや編集者さんからすれば、付き合いの長い先輩プレスの方が相談しやすいじゃないですか。そのうえ先輩方ってすごくキャラが立っていて、何もしてないと埋もれちゃう。まず私を覚えてもらわないと仕事ができないって危機感を感じました。

――覚えてもらうために何をしましたか?

藤井 最初は見た目から入りました。まず髪型で覚えてもらうよう、髪色はすごく明るくして前髪は絶対オン眉。ロングヘアーは今も貫いてます。ピンクのリップをトレードマークにしていましたし、おへそを出すコーディネートをしたりしていましたね(笑)。

画像: 半期に一度の大プロジェクトだった自社カタログの商品選定の一コマ。 出典:ビームス

半期に一度の大プロジェクトだった自社カタログの商品選定の一コマ。

出典:ビームス

――若い時に培われたギャルマインドがへそ出しに現れたんですね。

藤井 へそ出しは先輩方からもいじられまして、だからこそスタイリストさんや編集者さんにも覚えてもらえるかもしれないって自信になりました。もちろん商品を説明するための勉強もしていましたし、仕事関係者のイベントに顔を出して、知り合いを増やすことも積極的に行いました。プレスとしてのアウトプットとインプットの両輪を鍛えていた感じです。

私の記憶だと、プレスの仕事に慣れてきた2016年あたりから、ビームス社がオウンドメディアやSNSを駆使して自社発信に強化するようになりました。今まではメディアに掲載していただいて知ってもらうことが中心でしたが、自社の公式サイトも1つのメディアと捉えて企画を行うことが多くなってきて。自分で企画して撮影をしたり、自分がモデルをしたり、PRのチャンネルが増えましたし、自身の成長にもつながりました。

画像: 自社メディアの撮影のため、膨大なサンプルを使ってスタイリングをしていました。 出典:ビームス

自社メディアの撮影のため、膨大なサンプルを使ってスタイリングをしていました。

出典:ビームス

藤井 お客様のお役に立ちたい想いから、実需に合わせたファッション提案をしたいと「B MAG」というウィメンズカジュアルレーベルの情報をまとめたWEBサイトとインスタグラムのアカウントを制作しました。ありがたいことに1年で5万人ものフォロワーを獲得することができたんです。今はプレスの現場を離れてしまったので、アカウントを引き継ぐ形になり、少し寂しさがあります(笑)。

――リース中心の時代と自社発信強化の時代と、藤井さんはどちらが楽しかったですか?

藤井 自社発信の仕事は企画を考え、ビジュアルを作る楽しさがありますし、内製できるのでスムーズに進行しやすくはあります。けれどメディアの方に協力いただかないとできないこともたくさんあって、スタイリストさんやライターさんといったプロの方々からは教わることばかり。自社の企画をするにしてもクリエイターの方々のお力を借りないとできませんし、そういった方と出会えるのは外部とつながってこそ。やっぱりプレスにとっては両方大事ですね。

画像: 今やロングの金髪は藤井さんのトレードマーク。 出典:ビームス

今やロングの金髪は藤井さんのトレードマーク。

出典:ビームス

――時系列順に追っていくと、プレスとして次のターニングポイントは2020年からのコロナ禍かと思います。当時は貸出も止まりましたよね。

藤井 店舗も開けられませんでした。でもオンラインショップは動いていて。その中でいかに【ビームス】を選んでもらうか。もう自分で発信するしかない、って自宅でコーディネート撮影をして自分のインスタで紹介していましたね。【ゴキゲンズ】を始めたのもコロナ禍の2020年です。

次回は藤井さんが【ゴキゲンズ】を結成した経緯やアイドル活動をするうえで大切にしていることをうかがいます。

Photograph:川本史織
Senior Writer:津島千佳

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