これは、友人A子から聞いた話です。“うちの子が可哀想”を理由に周囲へ特別扱いを求め続けるママ友。最初は配慮していた周囲も、他の子どもを悪者にする発言をきっかけに限界を迎えます。子どもを盾に周囲をコントロールしようとする人間関係のしんどさを描いたエピソードです。

決定的だったのは、保育園のイベントの日でした。
子ども同士でちょっとしたおもちゃの取り合いが起きたのです。
よくある程度のことで、先生もすぐ仲裁に入りました。
ところがCママは突然声を荒げました。
「またうちの子ばっかり我慢させられてる!」
周囲が凍りつきます。
しかも相手の子を見ながら、「こういう強引な子、本当に苦手」とまで言ったのです。
その子のお母さんは真っ青。
でもCママは止まりません。
「うちの子優しいから言い返せないだけ!」
完全に“被害者側”として振る舞っていました。

“可哀想”を使えば何でも通ると思っていた

その瞬間、A子は気づいたそうです。
この人、本当に子どもを守りたいんじゃない。
“うちの子が可哀想”を盾に、自分の思い通りにしたいだけなんだ。
だから相手の子が傷つくことには無頓着で、自分側だけが常に被害者なのだ、と。
周囲はずっと気を遣ってきました。
でも、その優しさは当然のように消費され続けていたのです。

ついに他のママが口を開いた!

空気を変えたのは、普段おとなしいママでした。
その人が静かに言ったのです。
「みんな、自分の子どもを同じように大事に思っていますよ」
場が静まり返る中、さらに続けます。
「だからこそ、お互い様で見守りたいですよね。でも、自分の子だけ特別扱いされる前提で話されると、正直しんどいです」
その場にいた誰もが、深く頷いていました。
Cママは焦ったように、「そんなつもりじゃ……」と言っていましたが、今まで積み重なったものは簡単には消えませんでした。

その後、周囲も“配慮”と“振り回されること”は違うと気づいたのか、Cママとお互いのために適度な距離感を保つようになりました。

「うちの子が可哀想」という主観だけで周囲をジャッジするのではなく、「みんな違ってみんな良い」というお互い様の精神を持つこと。それこそが、親も子も、集団の中で健やかに笑って過ごすために大切なことなのだと実感した出来事でした。

【体験者:30代・女性会社員、回答時期:2026年5月】

※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:池田みのり
SNS運用代行の職を通じて、常にユーザー目線で物事を考える傍ら、子育て世代に役立つ情報の少なさを痛感。育児と仕事に奮闘するママたちに参考になる情報を発信すべく、自らの経験で得たリアルな悲喜こもごもを伝えたいとライター業をスタート。