筆者の話です。実家に子ども達と帰省した際、その帰省期間中に伯父が病で倒れました。その伯父を献身的に支える伯父の娘の姿を称賛する私の父──「親の面倒を見るのは子どもとして当たり前だ!」という父の言葉が、私の胸に深く刺さります。重度知的障害の子どもを持つ私が問い直す「当たり前」とは?
たどり着けない現実
私には重度知的障害のある子どもが二人います。
彼らに私の老後の世話を頼む事はできません。
それどころか、私が先に逝った後の彼らの居場所を確保する為、専門家と遺言書の準備を進めています。
「子どもが親の面倒を見る事は当たり前」という言葉が、いかに限られた前提の上に成り立っているか……。父には想像すら及ばない様子でした。
現在、母は他界し、父は姉と二人暮らしです。
家事は父が一手に担い、姉は自分の生活に集中しています。
「父が倒れた時、誰が動くのだろう?」そんな問いが私の頭を過ります。
親として準備しておく事
「当たり前」かどうかは、それぞれの個人の考え方はもちろん、家庭の事情によって異なります。
献身を称える前に、その人物の抱えている背景についても知り、配慮する事が大切なのではないかと思うのです。
そして老いを迎える前に、頼れる人・頼れない現実を冷静に見つめ、その時になった際に困らない様に事前に備えておく事こそが、家族を守る真の親心なのではないかと考えてしまった出来事でした。
【体験者:50代・筆者、回答時期:2026年5月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:藍沢佑菜
管理栄養士の資格を持つ、2人の自閉症男子のママ。自身の育児環境の変化をきっかけに、ライター活動をスタート。食と健康を軸に、ライフスタイル全般のコラムを得意とし、実体験に基づいたリアルな記事を執筆中。専門的な情報を「わかりやすく、すぐに日常に取り入れられる形」で伝えることが信条。読者の「知りたい」に寄り添い、暮らしを整えるヒントを発信しつづけている。