筆者の話です。
友人たちと家事分担の話をしていたとき「気が利く優しい夫」のように聞こえた一言がありました。
けれど、その続きに出てきた本音を聞き、私は少し考え込んでしまったのです。
友人たちと家事分担の話をしていたとき「気が利く優しい夫」のように聞こえた一言がありました。
けれど、その続きに出てきた本音を聞き、私は少し考え込んでしまったのです。
見えた本音
「『手伝う気はあったのに、もう終わっちゃってたんだから仕方ないよね』って思わせられるやろ?」
妻の用事が終わる頃を待って声をかけていた理由が、その一言でつながりました。
「手伝う気はあった」と言える形だけを残したかったのかもしれません。
「何か手伝おうか?」という言葉自体は優しく聞こえます。
ただ「手伝う」という言葉の中に『家事は妻がやるもの』という前提が見えてしまったのです。
言葉の奥
あの日以来「何か手伝おうか?」という言葉を聞くと、あの会話を思い出してしまいます。
本当に相手を気遣っている言葉なのか、それとも『やったつもり』で終わるための言葉なのか。
その裏にある本音を読み取ろうとしてしまうようになったのです。
同じ言葉でも、そこにある気持ち次第で、相手への届き方は大きく変わるのだと思います。
だからこそ私は、言葉だけで済ませるのではなく、自分から動ける人でいたいと感じました。
「手伝おうか?」ではなく「これやるね」と自然に言える関係の方が、きっとお互いに気持ちよく過ごせるのだと思った出来事です。
【体験者:50代・筆者、回答時期:2026年5月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。