筆者の話です。
大叔父の葬儀に、伯母と二人で手伝いに入ったことがありました。
数年後、そのときの話を聞いた私は、思わず足が止まります。
大叔父の葬儀に、伯母と二人で手伝いに入ったことがありました。
数年後、そのときの話を聞いた私は、思わず足が止まります。
え? の瞬間
「大叔父の親戚は座ってるばっかりで、ご飯なんて作らんけんね。あのときは私ひとりで台所回しよって、朝から晩まで動きっぱなしやったんよ。私の他には誰も行ってなかったけん、ほんと大変やったわい」
伯母のその言葉に、思わず足が止まりました。
確かに一緒に動いていたはずなのに、私いなかったことになってる? と引っかかりが残ります。
「きこ(仮名)も手伝いに行ったよね?」
と親戚のひとりが声をかけ、場の空気が一瞬止まりました。
伯母は「あっ」とした表情を見せ「きこもおってくれたから助かったよ」と慌てて付け足します。
私は笑ってうなずきましたが、その言葉が後から乗せられたように聞こえてしまいました。
残るもの
悪気があったのかはわかりません。
ただ、人の記憶は思っている以上に曖昧で、都合よく塗り替えられていくものだと感じました。
あのときの自分の行動は、思い出としてはっきり残っています。
誰にどう語られるかではなく、自分がどう向き合って動いたのかを大切にしていきたい。
そう思えた出来事でした。
【体験者:50代・筆者、回答時期:2026年4月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。