筆者の話です。
職場で後輩にかけられた、何気ないひと言。
その瞬間、胸の奥に小さな悔しさが残りました。

残った悔しさ

やがて後輩が戻ってきて「どうぞ」と飲み物を差し出してくれました。
「ありがとう、助かった」そう言って受け取ったものの、その背中を見送りながら胸の奥に小さなもどかしさが残ります。

忙しいときに用事を代わってもらうのは、職場ではよくある助け合いです。
それでも、私は自分に問いかけていました。
本当に、席を立てなかったのだろうか。

少しだけ頑張れば、自分で買いに行けたのではないか。
後輩の優しさに感謝しつつも、無意識のうちに自分の体力の衰えを理由に、動くことを諦めていなかったか。
そのことに気づいた瞬間、胸の奥に小さな引っかかりが残りました。

自分の一歩

その日の帰り道、私はひとつ決めました。
次の日から、一駅分だけ歩いてみよう。

特別な運動ではありません。
ほんの少し、いつもの生活の中で体を動かすだけです。

体は確実に歳を重ねていきます。
けれど、その変化に流されるのではなく、自分でできることは自分で選びたい。
周りの優しさに甘えられる自分でありつつ、同時に、自分自身の足でしっかり歩き続けられる自分でもいたい。
そう思えたこともまた、歳を重ねたからこそ気づけたことなのかもしれません。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2026年3月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。