筆者の話です。
22歳の誕生日の朝、母に「今日が最後のお弁当だから豪華にしておいたよ」と突然告げられました。
当たり前だった朝の時間が、思いがけず終わりを迎えます。
22歳の誕生日の朝、母に「今日が最後のお弁当だから豪華にしておいたよ」と突然告げられました。
当たり前だった朝の時間が、思いがけず終わりを迎えます。
父は仕事の都合で私より一時間早く家を出ます。
私が起きて朝食をとる頃、いつも私のお弁当箱は粗熱を取るためにふたを開けたまま置かれていました。
私が台所に入ると、母が「もう少しで閉めるからね」と言いながら、慌ただしく動く。
その小さなやりとりが、毎朝の決まった光景だったのです。
それが、なくなりました。
食卓の上には何も置かれていない。
その静けさに、私は初めて寂しさを覚えました。
区切りの意味
ある朝、ふと早起きをして台所をのぞいたことがありました。
父の分のお弁当を手際よく詰める母の背中。
湯気の立つフライパン、弁当箱のふたを閉める音。
私の分も、これまで同じ時間に並んでいたのだと思った瞬間、思わず立ち止まりました。
あの日の『豪華なお弁当』は、母なりの区切りだったのだと、そのとき初めて気づきました。
朝の重み
今でも、朝の台所を通るたび、あの誕生日のお弁当を思い出します。
当たり前だと思っていた時間は、母の手で支えられていました。
お弁当がなくなって初めて、私はその時間の重みを知ったのです。
母の一言は突き放すためではなく、次の一歩を促す合図だったのだと、今なら静かに受け止められます。
【体験者:50代・筆者、回答時期:2026年3月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。