筆者の話です。
義実家での買い出しが、いつの間にか『補充係』のようになっていました。
悪気はないとわかっているのに覚えた違和感に、ふと立ち止まった出来事です。

義実家で書き足したメモを握りしめたまま、会計前のカゴをのぞき込むと、わが家の普段の買い物量と比べても多く見えました。
胸の奥が重くなります。
私は義実家の『補充係』、あるいは『お財布代わり』になっているのではないかと。

善意で始めたはずのことが、いつの間にか「当たり前の負担」として固定されていく。その事実に気づいたとき、言いようのない寂しさと疲弊感がこみ上げてきました。

形を変える

最近は、義実家へ向かう前に「今日は外で食べましょうか」と提案しています。
料理も買い出しも担う流れを、少しだけ変えてみたのです。

最初は驚かれましたが、外食の日が増えると、買い物の回数が自然と減りました。
台所に立たない日があるだけで、肩の力が抜けます。

外食を提案してみて、助け合いと負担の境目は、言葉にしなければ曖昧なままだと気づきました。
だからこそ、無理を重ねる前に立ち止まることにしたのです。
あの日の違和感は、我慢を続けるためではなく、形を見直すための合図だったのかもしれません。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2026年2月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。