筆者の話です。
「社交的だね」「誰とでも話せるよね」と言われることが多い私。
でもその裏で、人との距離に悩むようになった理由がありました。
「社交的だね」「誰とでも話せるよね」と言われることが多い私。
でもその裏で、人との距離に悩むようになった理由がありました。
残った言葉
ある日、帰り際に言われた一言があります。
「今日も場を回してくれて助かったよ」「楽しかったよ」
感謝の言葉のはずなのに、胸の奥がきゅっと縮みました。
私は『一緒にいた人』ではなく『便利な役割』として重宝されていたのかもしれない。
『楽しい人』として覚えてもらえる一方で、誰とも深い心の交流ができていないような虚しさ。
「目立ちたいわけでも、仕切りたいわけでもない」「人見知りじゃないわけでもない」
ただ、そうやって動いていないと、その場に居場所がないような気がして怖かっただけなのです。
「話せること」と「社交的」は、イコールじゃない
よく話す人の中にも、実は深刻な人見知りが隠れていることがあります。
相手との距離感に悩み、空気を読みすぎるあまり、自分を削ってまで場を繕ってしまう──。
そんなタイプもいるのだと、知ってもらえたらいいなと思っています。
話せることと、心がつながることは、同じではありません。
賑やかな笑い声の裏側にある、繊細な距離感への悩み。
その葛藤に気づけたとき、私はようやく、無理に話し続けなくてもいい自分を、少しずつ許せるようになった気がします。
【体験者:50代・筆者、回答時期:2026年2月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。