筆者の話です。
実家で暮らしていた頃、家に帰ると、知らないおかずが食卓に並んでいることがありました。
それが当たり前だった日常は、いつの間にか静かに変わっていきます。
実家で暮らしていた頃、家に帰ると、知らないおかずが食卓に並んでいることがありました。
それが当たり前だった日常は、いつの間にか静かに変わっていきます。
知らない皿
家に帰ると、食卓に見覚えのないおかずが並んでいることがありました。
私の実家は、瀬戸内海に浮かぶ島にあります。
人口の少ない島での暮らしは、近所づきあいも密でした。
誰かが声をかけた様子はなく、玄関の鍵も開いたままです。
留守でも近所の人が野菜やおかずをそっと置いていく。
そんな光景は、この島では決して珍しいものではありませんでした。
当たり前
玄関先に、みかんや野菜、お菓子が置かれていることもありました。
見覚えのある皿なら「〇〇さんの家かな」と分かりますが、誰が作ったのか分からないものもあります。
現代の感覚では少し驚かれるかもしれませんが、それでも母は特に気にする様子もなく「おたべ」と言って、いつも通り食卓に出していました。
そこには、島という一つの家族のような場所で育まれた、絶対的な安心感があったのだと思います。
湯気の立つおかずが並び、いつもの茶碗と箸が置かれると、その日の夕飯は自然と始まります。
誰が作ったかを話題にすることもなく、私たちは普段通りに箸を伸ばしていました。
その光景を、私は子どもの頃から当たり前のものとして見ていたのです。
疑わない
誰が作ったのかを、その場で確かめることはありませんでした。
しばらくすると「おかず置いといたよ」と声を掛けられたり「お皿取りに来たよ」と家を訪ねてくる人がいたからです。
道で会えば「この間のおかず、おいしかった?」と聞かれることもありました。
島では、そのやり取りに疑問を持つ人はおらず、日常は静かに回っていたのです。