義母不在の帰省で、これまで見えていなかった風景に直面。静かな台所で気づいたのは、当たり前だと思っていた「優しさの重さ」でした。”日常の尊さ”を感じた筆者のエピソードです。
初めて立った、義実家の台所
今年のお正月、初めて私は義実家の台所に立ちました。隙間風が入り、足元が冷え、薄暗い空間です。義母はいつもこの場所で、何年も同じように料理をしてくれていたのだと実感すると、胸が苦しくなりました。
自分の分は後回しにして、皆が食べ終わってから静かに食べていた姿が、はっきりと思いだされました。
私は、いつでも「ただ受け取る側」でした。当たり前の存在は、失いかけて初めて、どれほどありがたいものだったかに気づかされます。
遅すぎる気づきと、伝えられない思い
感謝は、心の中で思っているだけでは足りなかったのだと、いまになって後悔しています。
あのときと同じように、いつも通り台所に立つ義母の背中に向かって声をかけられるなら、どんな言葉を選ぶだろう。
気づかなかった時間の長さが、そのまま後悔の深さになって胸に残っています。伝えられるうちに言葉にすることの大切さを、身をもって知ったのです。
意識が戻ったら、直接伝えたい。その日を願いながら、いまは祈ることしかできないのでした。
【体験者:40代・筆者、回答時期:2026年1月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:大空琉菜
受付職を経て、出産を機に「子どもをそばで見守りながら働ける仕事」を模索しライターに転身。 暮らしや思考の整理に関するKindle書籍を4冊出版し、Amazon新着ランキング累計21部門で1位に輝く実績を持つ。 取材や自身の経験をもとに、読者に「自分にもできそう」と前向きになれる記事を執筆。 得意分野は、片づけ、ライフスタイル、子育て、メンタルケアなど。Xでも情報発信中。