山奥にある立派なお墓は、我が家の誇りです。
しかし、お参りするためだけに片道数時間の移動。
草むしりの重労働、月々の管理費、今後かかるであろう修繕費……。
「私が終わらせてしまっていいのだろうか」という罪悪感はどうしても拭えないものの、たしかに負担が大きいのも事実です。
運転席の息子がサチさんの言葉に静かに頷く姿を見て、私は初めて「これは私だけの問題ではないのだ」とようやく気づきました。
本当の意味で「守ること」とは?
もしかすると私は、「守ること」を理由に、管理の苦労を次の世代へ押しつけようとしていただけなのかもしれません。
もちろん、先祖を大切に思う気持ち自体は変わりません。
けれどその気持ちが、いつの間にか“負担を受け継がせる言い訳”になっていたら、それは本来の意味から離れてしまう。
ご先祖様だって、そんな状態を望んではいないはず。
そんな考えが、私の中に初めて浮かんだのです。
その後、息子夫婦と何度も話し合いを重ね、私たちはお墓を近くのお寺の永代供養に移す決断をしました。
形が変わっても、想いは続く
驚いたのは、その後に訪れた変化です。
以前は年一度がやっとだった墓参りが、今では買い物ついでに孫と立ち寄れるほど身近なものになりました。
距離が近くなった分、ご先祖様の存在が日常に寄り添うようになったのです。
墓じまいは、供養を「おわり」にする行為ではありません。
家族が無理なく供養を続けていくための、新しい選択肢のひとつなのではないでしょうか?
サチさんの勇気ある提案が、「形は変わっても、ご先祖様を想う気持ちは続いていく」ということを教えてくれたのだと思っています。
【体験者:70代・女性主婦、回答時期:2025年12月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:藍沢ゆきの
元OL。出産を機に、育休取得の難しさやワーキングマザーの生き辛さに疑問を持ち、問題提起したいとライターに転身。以来恋愛や人間関係に関するコラムをこれまでに1000本以上執筆するフリーライター。日々フィールドワークやリモートインタビューで女性の人生に関する喜怒哀楽を取材。記事にしている。