筆者友人A子の話です。
「忙しいから、また今度」
そうやって後回しにしてきた母との会話は、ある日突然、永遠に失われました。
親を見送った今、最も後悔しているのは特別な親孝行ではない……元気なうちに、たった一つだけしておくべきだったこととは──。

「忙しい」は、自分を守るための言い訳だった

仕事に、育児に、家事に。
毎日が目まぐるしく過ぎていく中で、友人A子は母からの電話や何気ない話題を、つい後回しにしていました。

「今ちょっと立て込んでて」
「また今度ゆっくり話そう」

大きな不仲があったわけではありません。
むしろ、いつでも話せる距離にいるからこそ、急ぐ必要はないと思っていました。「忙しい」は、目の前の生活を回すために仕方のないことだと、自分を納得させるための便利な言い訳だったのです。

「今度」は、突然やって来なくなった

ある日、その「今度」は二度と訪れなくなりました。
母を見送ることになり、現実は待ってくれない速度で進んでいきます。

手続き、連絡、片付け。
気づけば、あれほど口にしていた「忙しい」は、何の意味も持たなくなっていました。
時間が全くなかったわけではなく、無意識のうちに後回しにしてもいい存在だと甘えていたのだと、あとから思い知らされたのです。