夫が「洗濯物、取り込んでおいたよ」と声をかけてくれた日のこと。
胸に浮かんだ小さなざわつきが、家事の“見え方”をそっと映して──。
見えない工程
取り込んでくれたこと自体は、本当にありがたい。
けれど私にとって洗濯は、取り込んでからが本番です。
ハンガーから外し、畳んで、それぞれの引き出しへしまうまでが一連の流れ。
それに比べると、夫は「取り込むところまで」で区切っているように見えました。
悪気がないのも分かっているのに、山を前にすると気持ちがそわつきます。
普段から整った引き出しを見て「ここにあるのが当たり前」と思えるのは、きっとこの工程が見えないからなのだろうと感じました。
整った引き出しを開けるだけなら、家事はとても簡単に見える。
その裏にある細かな作業は、同じ家にいても案外伝わりません。
夫のひと言
黙って洗濯物を畳んでいると、夫が「あ、持っていこうか」と声をかけてくれました。
そのひと言はうれしいのに、胸の奥に小さな影が差した気がしました。
『私が帰宅したら家事は私の担当になる』
そんな無意識の前提が見えた気がしたからです。
夫が悪いわけではありません。
けれど、家事のどこまでが「終わり」なのか、その基準は思った以上に違っていました。
小さな気づき
夫の行動は善意からで、責めたいわけではありません。
ただ、きれいな引き出しの中が『当たり前』に見えるほど、その裏にある手間は伝わりにくいものです。
ソファーに残った洗濯物の山を前に、家事に対する捉え方がこんなにも違うのだと実感しました。
どちらが正しいという話ではなく、見えていない工程があるだけ。
小さな出来事だったけれど、家事に向き合う意識の違いについて、あらためて深く考えさせられた日でした。
【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年12月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。