入院中の義母の世話を任されていたYは、毎日のように病院へ通っていました。
けれど『来るだけ来て口だけ出す』親戚の一言で、Yの胸に積もっていたモヤが静かに爆発したのです。
そんな中、義弟の妻が病室を見渡して一言。
「個室にしてあげたらいいのに。言ってあげたらどうですか?」
自分が動く前提のない言葉に、胸の奥でモヤがふっと膨らみました。
積もり積もったモヤのピーク
言うのは簡単。けれど動くのはY。
念のため看護師に相談すると「今からだと難しいかもしれません」と予想通りの返答でした。
義兄妹は数日に一度、同じ時間帯に来るものの「今日は私たちが行きますよ」の連絡もなく、顔を出す程度。
「何か持っていきましょうか?」の一言があれば、Yの負担は大きく違っていたはずです。
お見舞いに来ても、義母の飲み物の準備や受け取った差し入れの整理を頼むのは結局Y。
誰も悪気はないのかもしれない。
でも、積み重なると心がじわじわ削られていきました。
その瞬間、胸の奥に溜め込んでいたモヤが一気に広がったのです。
気づいた「距離の引き方」
病院を出た帰り道、Yはふと足を止めました。
張りつめていた気持ちがほどけたのか、ため息が何度もこぼれます。
「私だけが頑張る形って、やっぱりしんどいな」そんな小さな本音が胸の奥に浮かびました。
義母を思う気持ちは変わらない。
けれど、自分の心を守る距離も必要だと、静かな帰り道で気づいたのです。
【体験者:50代・女性主婦、回答時期:2025年12月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。