筆者の話です。
夫婦で同じタイミングにインフルエンザに罹り、助けが必要になった日。
義母の『言葉』と『行動』の差に、小さく残ったモヤの行き先とは──
夫婦で同じタイミングにインフルエンザに罹り、助けが必要になった日。
義母の『言葉』と『行動』の差に、小さく残ったモヤの行き先とは──
義母の「すぐ来て」
けれど、義母が体調を崩したときは状況が一変します。
電話一本で呼び出され、食事を用意したり、病院へ付き添ったりするのが、いつの間にか『私の役目』になっていました。
夫から頼まれると断りづらい空気もあり、動くのが当たり前のようになっていたのです。
自分のときには来てもらえないのに、義母のときだけ「すぐ来て」
その矛盾に気づくたび、胸の奥にじわじわとモヤが積もっていくのを感じました。
言葉の重さに気づいた日
もちろん、うつってしまうと困るから来られなかった理由は理解しています。
それでも「大変だったら呼んでね」というあの言葉を思い出すと、本心だったのかなとふと考えてしまいました。
悪気があるわけではないと分かっていても、言葉と行動の差には気づいてしまうもの。
胸の奥には、小さなモヤがそっと残ったままです。
【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年12月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。