誰でも、人に見せない顔を持っているものですよね。家族であっても、親しい友人であっても、相手を「知っているつもり」になってしまうのは危険かもしれません。今回は、筆者の知人が体験したエピソードをご紹介します。
衝撃のギャップ
写真の中のR子さんは、本格的な登山ウェアに身を包み、険しい山頂で満面の笑みを浮かべていました。
また別の日には、カフェで何種類ものケーキを前に、友人と楽しそうにおしゃべりしている姿。
さらに別の投稿では、絵筆を持ちキャンバスに向かう真剣な横顔まで。
「R子の休日の過ごし方」というハッシュタグをつけられた投稿の数々には、私が想像もしなかったR子さんの姿が写し出されていたのです。
思い込みという“壁”
驚いて、「これ、本当にあなたのママなの?!」と、思わず孫に尋ねると、孫は「そうだよ! 私もたまに連れて行かれるもん」と笑っていました。
驚きと同時に、私の心にじわりと広がったのは、恥ずかしさでした。
私はこれまで、R子さんのことを勝手に「地味」「無趣味」と決めつけ、自分の中でイメージを作り上げていたのだと気づいたのです。
私が知っていたのは、あくまで「嫁」という役割を演じている一部の姿に過ぎず、私のいないところで、R子さんは自由に、生き生きと自分の人生を謳歌していました。
人は誰でも、多面的で奥深い存在。
思い込みに囚われず、相手を尊重することの大切さを、改めて教えられた出来事でした。
【体験者:70代・女性主婦、回答時期:2025年10月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:藍沢ゆきの
元OL。出産を機に、育休取得の難しさやワーキングマザーの生き辛さに疑問を持ち、問題提起したいとライターに転身。以来恋愛や人間関係に関するコラムをこれまでに1000本以上執筆するフリーライター。日々フィールドワークやリモートインタビューで女性の人生に関する喜怒哀楽を取材。記事にしている。