しかし定年間際のある日、先生は少し寂しそうな顔で、こんな話をしてくれたのです。
「最近ね、『あの人、どうしているかな』と頭に浮かんだ数カ月後に、その友人の訃報を聞くことが重なってしまってね。「声をかけたいと思った時、『相手は忙しいだろう』とか、『わざわざ連絡するほどのことではないか』と、その時の自分の気持ちを優先しなかったことを、今、心から後悔しているんです。次に会える保証なんて、人生にはどこにもないんだから」
その言葉は、当時の私に深く突き刺さりました。
誘う・誘われるのバランスよりも、「この人と繋がっていたい」という思いを優先し、素直に行動できるかどうかが大切だと、私は思えたのです。
「誘う側」でいられることこそ、人生最大の『行動力』
私は娘にやさしく伝えました。
「お母さんも、いつも誘うタイプだよ。誰と、いつ、どんな風に遊びたいかを、自分で決められる力を持っているのは素晴らしいことだよ。『誘う』っていうのは断られる可能性もあるし、勇気のいること。でも、それを行動できるってことは、すごいんだから」と。
誘うばっかりで悩むのは、私も経験しました。それは全然おかしいことじゃないのです。
「誘われない」という小さなプライドや遠慮に縛られるよりも、会いたい気持ちを優先して声をかける方が人生は豊かになるし、私もそうしてきました。
いつか大人になって、大切な人が遠い場所へ行ってしまったり、突然会えなくなってしまったりしたとき、後悔しないために。
「誘ってくれてありがとう」「声をかけてくれてうれしい」と言われる側でいること。それは、人生において最も価値ある「行動力」なのだと、私は娘に教えたかったのです。
娘は「そっか。そしたら、私、またみんなに声かけてみる!」と声を弾ませていました。
【体験者:30代・女性パート、回答時期:2025年11月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Yuki Unagi
フリーペーパーの編集として約10年活躍。出産を機に退職した後、子どもの手が離れたのをきっかけに、在宅webライターとして活動をスタート。自分自身の体験や友人知人へのインタビューを行い、大人の女性向けサイトを中心に、得意とする家族関係のコラムを執筆している。