母は施設で暮らしています。
面会のたびに「あなたの老後が心配」と言われると、胸がざわつきます。
それでも私は、誰かに支えられるより、自分の足で生きていきたい──そう思うようになりました。
それでも不安がないわけじゃない
確かに、老後のことを考えると不安がよぎります。
病気になったら? 倒れたら? 誰に頼ればいいのか。
そんな現実を思うと、母の言葉が少しだけ痛く刺さります。
でも私は、誰かのために時間を削り、義務のように支える関係を、もう誰にも背負わせたくはありません。
「支える」ことも「支えられる」ことも、選べる関係でありたいのです。
きっと母の時代は「家族に迷惑をかけないように」と言いながら、互いに支え合ってきたのだと思います。
けれど、今は生き方も人との距離も多様な時代。
私は、依存でも孤独でもない「ちょうどいい距離」を探していきたいのです。
自分で選んだ生き方として
母の「心配」は、愛情の裏返しだと今ではわかります。
母の言葉を聞くたびに、胸の奥が少し痛みます。
それでも私は、私の選んだ道を歩いていく。
孤独を恐れるより、自分の意思で生きる強さを持ちたい。
面会の帰り道、少しだけ空を見上げました。
家族を守るために生きた母と、自由に生きようとする私。
どちらも間違いではなく、時代が違うだけ。
その違いをようやく受け入れられた気がしました。
──そう思えるようになっただけでも、私は少し大人になったのかもしれません。
【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年11月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。