筆者の話です。
父が定年してからというもの、どこへ行くにも母についてくるようになりました。
以前の『家にいない人』が、今では『いつも一緒の人』に。
母は少し息苦しそうですが、それでも、どこか嬉しそうでもあります。
その姿を見ていると、ため息と一緒に、ほんのりとあたたかい気持ちもこみ上げてきました。

せっかちで、食事が終われば席を立つものと思っている父と一緒では、お茶を飲みながらのんびり話す時間など持てません。
女子会ランチ定番のおしゃれなカフェを選ぶ余地もなく、父も落ち着けるお店を探す羽目に。
母の表情に、うっすらと「またか……」という影が見えました。

自由を奪う「優しさ」

予想どおり、ランチの席でも、父は「次どこ行く?」「そろそろ出よう」と時計を気にしてばかり。
母は「ゆっくりお茶でも」と言いかけて、やめました。
父が悪気なく、ただ一緒にいたいだけだと分かっているからこそ、強くは言えないのです。

そんな二人を見ながら、私は思いました。
「もっと早く、父に一人で楽しめる趣味でも持たせておけばよかった」と。
母の自由も、自分の時間も、どちらも奪っているのは「愛情の裏返し」なのかもしれません。

ため息の中にある、静かな愛しさ

食事の帰り道、母の隣を歩く父は、どこか嬉しそうでした。
無口なくせに、母の歩調に合わせて歩く姿に、思わず胸があたたかくなります。
きっと、母も同じ気持ちなのでしょう。

「もう少しだけ、一緒にいてあげようか」
そんな優しい諦めが、二人の間には流れているように見えました。
父の「俺も行く」という一言に、今日もため息と──少しの愛しさがこぼれます。

【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年11月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。