押しのけられた瞬間、走った緊張
通勤ラッシュの満員電車。いつもこの時間はぎゅうぎゅう詰めで身動きがとれません。その日も例外ではなく、呼吸をするのも苦しいほどでした。私はイスと扉の間にある、わずかな手すりスペースに立っていました。
その窮屈さに必死で耐えていたときのこと。次の駅で乗ってきた中年女性が肩で息をしながら、全身でもたれかかってきたのです。具合が悪くて倒れこんできたのかと思い、とっさに支えようと身をかがめようとしたのです。
しかし、彼女はしっかりカバンを抱きかかえたまま、さらにグッと体を詰め寄り、わずかなすき間をむりやり確保。私はよろけながら手すりにしがみつき体が固まったのです。
押された衝撃で背中や腕に痛みが走り、よろめいた拍子に足首にも鈍いしびれ。体勢を立て直す間もなく、緊張感で鼓動が早くなるのを感じたのでした。
誰も声を上げられなかったそのとき
彼女の行動に周囲も「えっ」「危ない」と小さくどよめき、空気が一瞬ピンと張り詰めたのです。隣の若い女の子も「きゃっ」と声を上げたのに、本人はまったく見向きもしません。
自分がそこに立ちたいがために、わざと押しのけたのだと気づいた瞬間、胸の奥にモヤモヤとした不快感が広がりました。
あまりのずうずうしさに車内がざわつく中、そこにいた長身の外国人女性が、落ち着いた声で口を開きました。
沈黙を破った言葉
「ちょっと、危ない。まわりの人、倒れるよ。日本人は優しいでしょ?」
その言葉に、中年女性はハッとしたように顔を伏せたのです。車内に静けさが戻ると、人々の間にほっとした空気が広がっていくようでした。
外国人女性の方を見ると、ちょうど目が合い、彼女は穏やかにうなずいたのです。小さな声で「ありがとう」と返すと、彼女はやわらかな笑みを浮かべました。その瞬間、気持ちが静かに落ち着いていくのを感じました。
見知らぬ人の勇気がくれた温かい余韻
痛みやモヤモヤした感情を抱えたまま電車を降りていたら、きっと一日中そのできごとを引きずっていたと思います。
しかし、あの女性の一言で心の重さがすっと軽くなったのです。
見知らぬ誰かの気遣いが、こんなにも雰囲気を変えるのかと驚いたほどです。あのとき勇気を出してくれた彼女への感謝の気持ちがこみ上げ、体の力がふっと抜けました。
文化の違いではなく、これは単純に「一人の人間として、その場で行動できるか」
その姿に、私は心の底からスカッとしました。
【体験者:40代・筆者、回答時期:2025年11月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:大空琉菜
受付職を経て、出産を機に「子どもをそばで見守りながら働ける仕事」を模索しライターに転身。 暮らしや思考の整理に関するKindle書籍を4冊出版し、Amazon新着ランキング累計21部門で1位に輝く実績を持つ。 取材や自身の経験をもとに、読者に「自分にもできそう」と前向きになれる記事を執筆。 得意分野は、片づけ、ライフスタイル、子育て、メンタルケアなど。Xでも情報発信中。