結婚してからというもの、夫の友人関係のお祝いごとの準備まで、いつの間にか私の担当になりました。「ちゃんとお祝いできた俺、えらい」と笑う夫を見て──その笑顔を支えているのは「誰の努力」かを考えた出来事です。
夫の友人関係のお祝いごとも、なぜか私の担当
結婚当初から、夫のまわりで誕生日や出産、昇進といったお祝いごとがあるたび、準備をするのはいつも私。
「この人には何がいいかな」「相手の奥さんの好みも考えた方がいいよね」と、内容を考え、買いに行き、ラッピングまでこなすのが「お決まり」になっていました。
きっかけは、夫の一言。
「こういうの、女性の方が得意でしょ?」
悪気なく言われたその一言を境に、私の「名もなき家事リスト」に新たな項目が加わったのです。
当時は「得意ならいいか」と引き受けてしまいましたが、今思えば、私自身が無意識のうちに「性別による役割分担」という構造に加担してしまっていたのかもしれません。
「ありがとう」より先にくるのは「当然」の空気
夫は、私が選んだプレゼントを持って出かけ、相手に渡して満面の笑みで帰ってきます。
「喜んでもらえたよ!」とうれしそうに報告する姿に、最初のうちは私もホッとしていました。
けれど、そのうち気づきました。
「ありがとう」の言葉よりも、「やってもらって当然」という空気が当たり前になっていることに。
いつの間にか「気が利く夫」を演出するための「裏方」になっていたのです。もしかすると夫は、私が自主的に動いているから、単に「任せてしまえばいい」と思っていただけなのかもしれません。
「ちゃんとお祝いできた俺、えらい」発言にモヤッ
ある日、夫が飲み会から帰宅するなり、得意げに言いました。
「ちゃんとお祝い持って行ってたのは俺だけだった。えらいでしょ!」
その笑顔に、思わず固まりました。
プレゼントを提案して選んだのも、買いに行ったのも、ラッピングしたのも、全部私。
「えらい」のは、いったい誰なんだろう。心の中でつぶやいた瞬間、長年積み重ねてきた小さなモヤモヤが一気に噴き出しました。
「気の利く男性」を演じるのは、そろそろ卒業してほしい
夫に文句を言いたいわけではありません。
ただ、自分の顔を立てるために、私の労力を当たり前に使わないでほしい。
夫婦って、どちらかが「得意だから」「慣れてるから」で片づける関係じゃない。
だからこそ、これからは「見えない気配り」の重さにも気づける人であってほしい。
お祝いの主役でもないのに「気の利く男性」を演じるのは、そろそろ卒業してほしいと感じています。
【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年10月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。