認知症を患う祖母との日々の中で「忘れられる悲しみ」と「それでも続く日常」の狭間で揺れていた筆者知人のA子。彼女はある出来事をきっかけに「忘れる」ということの意味を、少し違う角度から見つめ直すようになったといいます。

「どなたか存じませんが」と言われる日々

90歳になる祖母は、施設で穏やかに暮らしていました。私が母と会いに行っても、もう私たちのことは覚えていません。

「どなたか存じませんが、ご親切にありがとうございます」

そう丁寧にお礼を言う祖母の姿を見るたび、胸がきゅっと締めつけられました。

最初のころは「おばあちゃん、孫のA子だよ」と何度も伝えました。でも、祖母は困ったように笑うばかり。

そのうち、私も他人として話すようになっていきました。そのほうが、祖母にとっても穏やかでいられる気がしたのです。

葬儀で流した涙

そんなある日、祖母の娘である私の叔母が亡くなりました。葬儀の日、祖母は車椅子で会場に来ました。最初は、ただ静かに周りを見ているだけ。

けれど、棺の前まで進んだ瞬間、祖母の表情が変わりました。

「◯◯(叔母の名前)! ◯◯!」

娘の名前を何度も呼びながら、祖母は声を上げて泣いたのです。

誰のことも思い出せなくなっていた祖母が、娘の顔を見た瞬間、まるで全てを取り戻したかのように。母としての深い愛情が溢れ出たその瞬間、私は思わず目頭が熱くなりました。

帰り道には、もう忘れていた

けれど、その記憶は長くは続きませんでした。

葬儀を終え、車に乗り込むと、祖母はいつもの穏やかな顔に戻っていました。

「今日はどなたのお葬式でしたか?」

その一言に、私は言葉を失いました。ついさっきまで涙を流していたのに。

娘の名前を呼んでいたのに。

どう答えればいいのか分からず、ただ黙って祖母の手を握りました。

──祖母の中で、あの瞬間は消えてしまったんだろうか。

母が教えてくれたこと

そんな私に、母が静かに言いました。

「子どもに先立たれるのは、母親にとってあまりにつらいこと。だから、おばあちゃんは忘れることを選んだのかもしれないね」

その言葉に、ハッとしました。

もしかしたら、祖母の心を守るための優しい仕組みだったのか──。

そう思いながら施設に戻ると、祖母はいつもの穏やかな笑顔で私たちを迎えてくれました。

忘れることさえ、愛の形なのかもしれない。

そう感じた瞬間、他人として接する祖母の姿が、これまで以上に愛おしく思えたのです。

【体験者:20代女性・会社員、回答時期:2025年9月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Yumeko.N
元大学職員のコラムニスト。専業主婦として家事と子育てに奮闘。その傍ら、ママ友や同僚からの聞き取り・紹介を中心にインタビューを行う。特に子育てに関する記事、教育機関での経験を通じた子供の成長に関わる親子・家庭環境のテーマを得意とし、同ジャンルのフィールドワークを通じて記事を執筆。