亭主関白の父が台所に
父は昔ながらの頑固オヤジ。
「水一杯も母任せ。そんな昔ながらの価値観を持つ父」━━それが我が家の常識でした。
そんな父と兄と私の3人で過ごした、ある休日の昼。
母が外出していて、昼食をどうしようかと兄と話していたとき、父が突然立ち上がり、こう言いました。
「ごはんを炊いて、おにぎりを作るぞ!」
思わず兄と顔を見合わせました。
え? お父さん料理できるの? まさかの宣言に家中がざわつきました。
まるで職人
「任せとけ!」と胸を張る父。
お米の場所すら知らないのに、大丈夫なのかと心配しながら見守る私たち。
ところが、父は意外にも手際よくお米を研ぎ始めました。
その様子は、まるで職人のよう。
手つきは丁寧で、水を替えるたびに米粒を確かめています。
「え……まるで長年やっているみたい」
兄とこっそりささやき合いながら、父の真剣な横顔をじっと見つめました。
見事すぎた“父の初おにぎり”
炊きたてのごはんを前に、父は黙々と作業を始めました。
料理初心者とは思えないほど集中していて、ひとつひとつ丁寧に握っていきます。
できあがったおにぎりを見て、私と兄は言葉を失いました。
━━まるで食品サンプル。
すべてが均一な大きさ、完璧な三角形。
まるで売り物のように美しく並んでいたのです。
「お父さん……すごい!」
恐る恐る食べてみると、塩加減も絶妙。
ふんわり握られたごはんは、口の中でほろりとほどけました。
やればできる
あの日食べたおにぎりの味は、今でもはっきりと覚えています。
亭主関白だった父が、たった一度だけキッチンに立って作ってくれた昼食。
それは、私にとって「父の優しさを初めて感じた瞬間」でした。
几帳面な性格の父は、きっとお料理もできたのでしょう。
その真意は今となっては分かりません。
でも、あの完璧すぎるおにぎりには、不器用な愛情がぎゅっと詰まっていました。
【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年10月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒヤリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:大下ユウ
歯科衛生士として長年活躍後、一般事務、そして子育てを経て再び歯科衛生士に復帰。その後、自身の経験を活かし、対人関係の仕事とは真逆の在宅ワークであるWebライターに挑戦。現在は、歯科・医療関係、占い、子育て、料理といった幅広いジャンルで、自身の経験や家族・友人へのヒアリングを通して、読者の心に響く記事を執筆中。