筆者の話です。
母の代わりに親せきの法事へ出席したときのこと。
何気なく返した一言が誤解を生み、場の空気を凍らせてしまいました。
そんなつもりじゃなかったのに――。
言葉の選び方ひとつで、人との距離が変わることを痛感した出来事です。

母の代わりに立った私

母が体調を崩し、急きょ私が親せきの法事に出ることになりました。
親族同士の集まりは久しぶりで、少し緊張しながらも、母の代役としてきちんと立ち回らなくてはと身が引き締まります。
親せきの中には、普段あまり顔を合わせないお嫁さんたちもいて、少しぎこちない空気の中で式が始まりました。

その一言で凍った空気

休憩の合間に、お嫁さんのひとりが私に声をかけてきました。
「おばちゃん(=筆者の母)がいたら、心強かったのに」
その言葉に私はとっさに「そうよね、うちの母は末っ子の嫁だから、立ち回りを上手に伝えられるものね」と返しました。
すると、相手の表情がふっと曇り、空気がピタリと止まったのです。
あれ? と思った瞬間、周囲の空気も微妙に変わり、胸の奥に冷たいものが走りました。

伝わらなかった思い

どうやら相手は「あなたが気づかないところを母が言ってくれる」と、遠回しに指摘されたように受け取ったようでした。
私は同じ「嫁の立場」だからあなたの気持ちがわかるはず、と共感を示したかっただけ。
でも、言葉は思っている以上に、相手の心のフィルターを通して届くものなのだと痛感しました。

場の和を壊したくなくて笑顔を作りましたが、内心では「どうしてあんな言い方をしてしまったんだろう」「他に言葉があっただろうに……」と後悔が渦巻いていました。

「そんなつもり」の落とし穴

法事の帰り道、母ならどう答えただろうと考えました。
きっとあの一言も、相手の立場を立てながら、やわらかく返していたはず。
同じ言葉でも、伝わり方は違う。
だからこそ「伝える」姿勢には丁寧さが必要なのだと感じました。

そんなつもりじゃなかったのに──。
言葉の選び方ひとつで人間関係が変わってしまうと思い知らされた出来事です。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年10月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。