しかし、動いたのは夫ではなく、当時小学1年生だった息子。
そのときの息子の行動が、私に大切なことを気づかせてくれたのです。
高熱で寝込んだ日
ある冬の日、私は高熱で動けなくなりました。
普段から家事をほとんどしない夫は、子どもたちを連れてハンバーガーショップへ。
「ハンバーガー買ってこようか?」と言う夫。
高熱でハンバーガーは食べられない……と、ちょっとイラっとしながら「うどんなら食べられそう」とだけ伝えました。
しばらくして夫と子どもが帰宅。
キッチンに置かれていたのは、袋に入ったままのインスタントうどん。
夫はそれをそのまま放置し、ソファでくつろいでいました。
息子のひと言が響いた
そのとき、ガチャガチャとキッチンから音がしました。
見ると、当時小学1年生だった息子が真剣な顔で鍋やおたまを取り出しているのです。
「お父さん! お母さんにうどん作ってあげてよ!」
「もう僕がやる!」
その声には、幼いながらも強い思いやりがこもっていました。
慌てた夫がようやく動き出し、2人でうどんを作り始めました。
察してほしい気持ちの裏側
夫にはがっかりしたけれど、同時に気づいたことがありました。
私は「うどんなら食べれそう」と言っただけで、「作ってほしい」とは一言も伝えていなかったのです。
“察してほしい”という気持ちが強すぎて、具体的な希望を伝えることを避けていました。
どうせ作れない、と最初から決めつけてイライラしていた私。
もしかしたら、“できない夫”をつくり出していたのは、私自身だったのかもしれません。
伝えることで家族は変わる
それ以来、私は夫に対して「こうしてほしい」と、できるだけ明確に伝えるようにしました。
すると、家の中の空気がやわらかく変わっていきました。
息子には「ありがとう。お母さんすごくうれしかったよ」と伝え、少しずつ家事を教えました。
今では、息子は頼もしい“料理男子”となり、手料理を振る舞ってくれるようになりました。
あの日の「僕がやる!」というひと言は、私たち家族の成長のはじまりでした。
思いやりは、察することだけではなく、伝え合うことが大切。
そのことを、小さな息子が教えてくれたのです。
【体験者:50代 筆者 回答時期:2025年10月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒヤリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:大下ユウ
歯科衛生士として長年活躍後、一般事務、そして子育てを経て再び歯科衛生士に復帰。その後、自身の経験を活かし、対人関係の仕事とは真逆の在宅ワークであるWebライターに挑戦。現在は、歯科・医療関係、占い、子育て、料理といった幅広いジャンルで、自身の経験や家族・友人へのヒアリングを通して、読者の心に響く記事を執筆中。