筆者の話です。実家のある瀬戸内海の島では、親戚や知人にお願いしてみかんを送ってもらうのが当たり前でした。ところが、昨年からは誰にも頼めなくなり、自分で買うしかなくなったのです。心細さと感謝が入り混じった出来事でした。

とうとう誰にも頼めなくなった

しかし昨年、ついにお願いできる人が誰もいなくなったのです。気づけば周囲の人たちもみな年を取り、もう以前のように畑仕事を続けられる状況ではありませんでした。仕方なく近所のスーパーで地元産を探し、買い物かごに入れた瞬間──「ああ、もう私は『送ってもらう側』ではいられないんだ」と実感しました。その小さな果実に、これまでの年月が一気に重なり、心にぽっかり穴が開いたようでした。

寂しさと感謝が交錯した出来事

口に入れば同じみかんのはずなのに、味わいはどこか違って感じられました。みかんそのものよりも、長年続いてきた「支え」が途切れてしまった事に心細さを覚えたからです。けれど同時に、当たり前のように届いていた事がどれほどありがたかったのかをかみしめました。お店でみかんを手にすると、心細さと感謝が交錯する出来事でした。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年10月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。