現代では、共働きが一つの大きなスタイルになりつつあります。「家事・育児は平等に」という理想を掲げる夫婦は多く、ネットでもその議論が絶えません。しかし、形式的にタスクを半分に分けることが、本当に夫婦円満のゴールなのでしょうか。
今回は、筆者の友人A子が共働きを続ける中で、夫婦それぞれの「家事の負担感」について気づかされたエピソードを紹介します。
今回は、筆者の友人A子が共働きを続ける中で、夫婦それぞれの「家事の負担感」について気づかされたエピソードを紹介します。
家事は「平等」に分担しないといけないという固定観念に縛られて……
私の友人A子は28歳です。27歳の時に2歳年上のB太と結婚しました。新婚当初、夫B太と「家事は完璧に50:50で分担する」と決めました。二人ともフルタイム正社員。対等な関係を築くための、自然な選択でした。
しかし、二人は大切なことを見落としていました。それは、勤務時間や通勤時間の違いによる「生活時間の不平等」です。
A子の職場は残業はほぼなく、スーパーでゆったりと買い物をしても18時半には帰宅できます。一方、B太は帰宅が23時を過ぎることも珍しくありませんでした。
早く帰宅したA子が食事の準備をする。そして、疲れて深夜に帰宅したB太に、彼の担当だからと「皿洗い」や「ゴミ出し」をさせる日々。A子も申し訳なさを感じつつ、「平等だから」と割り切っていました。
当初は、「夫婦平等」に家事を分担し、お互い支え合っていると思っていた二人ですが、ある出来事をきっかけに、現在の夫婦の在り方を見直さなければならないことに気づいたのです。
「ゴミ捨て」をきっかけに見えてきた新たな家事分担
ある日、B太は残業疲れで寝坊し、ゴミを捨てに行くことができませんでした。二人の住まいはそう広くなく、ゴミ袋を置けるスペースがないため、A子はB太がゴミを捨て忘れたことに怒り、感情的になってしまいました。
すると、B太もまた「残業で疲れていた。起きられないよ」「A子はいつも自分の好きなことをしている」と感情を爆発させました。数日間にわたり、二人はほとんど会話をしませんでした。
この大喧嘩を通じて、A子さんは気づきます。「タスクを半分に分ける『形式的な平等』は、二人の『負担感』を均衡させる『真の平等』ではなかった」と。