島で育った私にとって、台風は「学校が休みになるかどうか」のドキドキ要素でした。
天気予報を見ながら「警報出ろ!」と祈っていた子ども時代。
今思えば青ざめる祈りですが、それも懐かしい思い出です。
島暮らしと台風
私の実家は瀬戸内海にある小さな島。
島への移動手段は船しかなく、天候に左右されることが少なくありませんでした。
台風が来ると、まず気になるのは天気予報。
子どもの頃の私にとって、それが「学校が休みになるかどうか」を決める大切な情報源だったのです。
祈るように見つめた天気予報
特に「警報」が出るかどうかは最大の関心事。
「警報」の種類によっては安全面から学校が休みになることがあったからです。
朝から学校への支度そっちのけで、ニュースにかじりつきながら「出るかな、出てほしいな」と、半ば祈るような気持ちで天気図を眺めていました。
雲の動きを示すアニメーションや赤い線が画面に映るたび、まるで自分の運命が決まる合図のように思えたのです。
友達とも「今日は休みになるかもね」と盛り上がったり、自宅待機用に前日にお菓子を買いこんだり、台風接近がまるで小さなイベントのように感じられたのです。
子どもと大人の台風の違い
けれど現実には、台風は大人にとって深刻な出来事。
被害が出たり、通勤や仕事に支障が出たりと、決して喜べるものではありません。
そんな状況をよそに「休みだ!」と喜んでいた幼い頃の自分を思うと、今では冷や汗をかく気持ちになります。
社会人になってからは「帰れないかもしれない」と慌ただしく準備することもありました。
実際に港が高波で冠水して使えなくなったりするため、台風が災害であることをあらためて実感したのです。
電車の運休や仕事の予定変更に振り回されると、子どもの頃に願っていた「警報」が、どれほど大きな意味を持つのか痛感します。
青ざめる祈りも懐かしい思い出
「警報出ろ!」と必死に願っていた子ども時代。
あの頃の無邪気な祈りは、思い返せば青ざめるようなものですが、同時に島での暮らしを象徴する懐かしい記憶でもあります。
台風シーズンが来るたび、ふと当時の自分を思い出してしまうのです。
【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年10月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。