電車に乗ろうとしたとき、わずかなすきまに体ごと落ちてしまったAさん。
大勢の手で引き上げられた瞬間「人はこんなところでも落ちるのか」と思い知らされたのです。
油断した一歩
Aさんの利用駅は地方の私鉄の始発駅。
出発時間までには数分の余裕があり、のんびりした空気が流れていました。
スライドドアもない昔ながらのホーム。
そこまで混みあっていなかったので、どの車両に乗ろうかと友人と話しながら歩いていました。
注意力が散漫になっていたのかもしれません。
電車が到着し、さあ乗り込もうと何気なく足を踏み出した瞬間、体がスッと吸い込まれるように沈んでいったのです。
ホームを包む緊迫感
「えっ!」と周囲から一斉に声が上がりました。
なんと、電車とホームのすきまにAさんは落ちてしまったのです。
目の前で体が消えるように姿を消していく様子に、居合わせた人たちも私も心臓が止まりそうでした。
「大丈夫!?」と声をかけると、ひとまず返事はあり無事は確認できました。
けれど、自力ではどうにもならない高さで上がることができません。
近くにいた乗客が集まってきて、駅員さんを呼びに行き、人垣ができるほどの緊迫した空気がホームを包みます。
温かい手に引き上げられて
幸い発車までに時間があり、数人がかりで手を伸ばしてくれたおかげでAさんは無事に引き上げられました。
ほっとして車両に乗り込むと、周囲から「良かったね」と温かい声をかけてもらい、助けてくれた人に何度も頭を下げるAさん。
「恥ずかしい……」と小さくなりながらも、感謝の気持ちがあふれていました。
擦り傷程度で済んだとはいえ、あの一瞬の緊張感は忘れられません。
まるで時間が止まったかのように感じたのです。
小さなすきまへの気づき
あらためて落ちた場所を見てみると、ほんのたった一歩分の距離。
「こんな小さなすきまでも、人は落ちるんだ」と実感しました。
ちょっとした油断が、大きな危険につながると知った出来事。
以来、電車に乗るときは必ず足元を確認し、あの光景を思い出しては注意を払うようになったのです。
【体験者:50代・女性主婦、回答時期:2025年10月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。