「またか」と思った、祖父危篤の知らせ
実家から遠方に住んでいる私。
老人ホームに入っていた祖父が、いよいよ危篤と連絡を受けました。
でも私は仕事が忙しく、旅費の余裕もありません。
そして正直「またか」と思いました。
というのも、過去にも「危篤」との連絡を受けたのに、その後数か月元気に過ごせたことがあったから。
母の予想外の一言
「何かあったらすぐ行く。お葬式には出席するから」
そう母に伝えると、返ってきたのは予想外の言葉でした。
「……あんたね、お葬式なんて来なくていいから。死んでから会いに来てどうすんの! 生きてるうちに会いに来なさいよ。おじいちゃん、まだわかるんだから」
その言葉に胸を突かれました。
確かに、お葬式は遺影に向かって手を合わせるだけ。でも、生きている祖父と会えるのは今だけ。
旅費の工面に頭を悩ませましたが、母の言葉と祖父の命の時間を前に、理屈抜きで動くべきだと判断しました。私は慌てて荷物をまとめて、飛行機に飛び乗りました。
祖父の満面の笑顔と最後の自慢
面会は感染症対策で窓越しでしたが、祖父は私を見るなり身を乗り出し、満面の笑みを浮かべたのです。
言葉は出にくいようでしたが、横にいる看護師さんが笑いながら教えてくれました。
「おじいちゃんね、『あいつ、九州から来たんだぞ! 仕事もがんばっとるんだぞ!』って、ずっと自慢してますよ」
にこにこ笑う祖父を見て、胸が熱くなりました。
わずかな時間でも、生きている祖父に直接「会いに来た」ことがどれほど意味のあることかを実感したのです。
後悔のない別れ方
数日後、祖父は息を引き取りました。
悲しいけれど、私の心には後悔はありませんでした。
母の言葉がなければ「お葬式に出るから」で済ませていたかもしれない。
でも祖父は、遠くで頑張る私を誇りに思ってくれていると伝えてくれたのです。
「生きているうちに会う」、その大切さを母と祖父が教えてくれました。
【体験者:30代・女性会社員、回答時期:2025年9月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Yuki Unagi
フリーペーパーの編集として約10年活躍。出産を機に退職した後、子どもの手が離れたのをきっかけに、在宅webライターとして活動をスタート。自分自身の体験や友人知人へのインタビューを行い、大人の女性向けサイトを中心に、得意とする家族関係のコラムを執筆している。