筆者の話です。
進路や生活の選択で「こうしたい」と思っても、親に否定されるのが怖くて口にできませんでした。やがて「相談グセ」が身についてしまい、50代になった今も自分の決断に自信が持てずにいます。けれど、親も年を取り、もう以前のように頼ることはできません。
今ようやく「自分の人生を歩む」と向き合う時が来たと感じています。

親に否定される怖さ

学生時代の私は「これをしたい」と思っても、口に出す前から不安がありました。
親に話しても「やめておきなさい」と否定されるのが目に見えていたからです。
反論する勇気もなく、気づけば「言わない方が楽」と思うようになっていました。

相談グセがついた日常

社会人になってからも、その癖は抜けません。
買い物のような小さな選択だけでなく、就職の場面でも親の顔色をうかがっていました。
親が見つけてきてくれた会社を受けるのが「無難」だと思い、自分が興味を持った道を選ぶ勇気は出せなかったのです。

否定されるくらいなら、最初から自分で決めないほうがいい。
そうして責任を避け続けるうちに、何でも相談してから動くのが習慣になってしまったのです。

親を頼れなくなった現実

けれど年月が過ぎ、親も年老いていきました。
病院の付き添いや生活の手配をするなかで、頼れる存在ではなくなってしまった現実を突きつけられました。
体調を崩すことも増え、以前のように細かい相談はできません。
むしろ逆に「どうすればいい?」と親から聞かれることが多くなり、立場が入れ替わったように感じるのです。

自分の人生を歩むために

大きな決断を前に立ち尽くすと「自分で選ぶ練習をしてこなかった代償」が、ずしりとのしかかります。
もっと早くから自分の意志で歩んでいれば、と強く悔やみました。

遅くなったけれど、これからは自分の人生を自分の責任で歩んでいきたい。
親の影を気にせずに選んだ一歩が、たとえ小さくても確かな前進になるはずです。
ようやく本当の意味での「私の人生」が始まるのかもしれないと、胸の奥に静かな決意を抱いています。

【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年9月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。