小学生の頃、母の口から「だってあの子はかわいくないもの」と言われたのを耳にして、胸が痛みました。
大人になった今も、その言葉は消えない傷跡として残っています。
母のひとことに胸が痛んだ日
ある日、母が近所の人に話す声が耳に入りました。
「だってあの子はかわいくないもの」
弟の方が、何を言ってもかわいげがある。
「お母さん大丈夫?」と心配してくれる。
そう話しているのを聞いたのです。
かわいくないの対象が自分だとわかった瞬間、心臓をぎゅっとつかまれたような衝撃を受け、息が苦しくなるほどでした。
弟との違いに落ち込む日々
確かに私はおませで、素直に甘えたり、弟のようにかわいげを見せたりするのが苦手な子どもでした。
お手伝いは進んでやっていたつもりですが、やさしい声がけはできていなかったのかもしれません。
だからこそ「どうしたら母にかわいいと思ってもらえるのだろう」と、子どもながらに何度も考えました。
弟のように「お母さんいつもありがとう」と言葉にしてみたこともあります。
けれど、自分が口にするとどこか上滑りしてしまい、ぎこちない雰囲気になってしまうのです。
弟が自然にねぎらう姿を見ては、自分との違いに落ち込み、母に認められたい気持ちが募っていきました。
消えない「かわいくない」の烙印
あの言葉を聞いてしまった日から「母に嫌われているのではないか」という不安を抱え続けるようになりました。
まるで自分は母にとって不要な存在なのではと、捨てられた子のように感じる瞬間すらあったのです。
笑顔を作っても、どれほど頑張っても、心の奥にある「かわいくない」という烙印は消えることがありませんでした。
母のひとことに揺さぶられながら
年月が経ち、大人になった私に母は「やっぱりあなたは頼りになる!」と声をかけてくれるようになりました。
その言葉は確かに嬉しい。
でももっと前にその言葉を聞きたかった。
子どもの頃の記憶が邪魔をして、素直に受け止めきれない自分がいます。
親子だからこそ積み重ねてきた感情は、簡単には消えないのだと感じてしまうのです。
【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年9月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。