いつも人でにぎわっている土間
私は農家の娘として育ちました。
家には広い土間があり、そこはいつも人でにぎわっていました。
祖母が話し相手になり、農作業を手伝ってくれる近所の人や、農協の人、父の仕事関係の人が、ひっきりなしに立ち寄ってはお茶を飲んでいくのです。
中学生になり、来客が苦痛に
朝、学校へ行く前にすでに誰かがいて、帰宅するとまた別の人がいる。そんな日常が当たり前でした。
幼いころは「そういうもんだ」と思っていましたが、中学生になるとそれが嫌で仕方なくなりました。
友達に話すと、「なにそれ! 知らない人が家にいるなんて変!」と驚かれ、ますます恥ずかしくなったのです。
祖母のお茶出しに苛立ち
挨拶も面倒、顔を合わせるのも嫌。
何より祖母がいつもお茶を入れて対応しているのを見て、「どうして毎回そんなことをするの?」と苛立ちさえ覚えました。
ある日、思わず祖母にぶつけました。
「いつも人がいるの嫌だ! お茶なんて出さなくていいよ!」
祖母は笑って、「でも、みんな話す相手が欲しいんだよ。みんな寄ってくれるのはありがたいことなんだよ」と言いました。
そのときの私は、微塵も理解出来ませんでした。
祖母の死後に訪れた静けさ
私が高校生になって間もなく、祖母は病気で亡くなりました。
すると不思議なほど、わが家の土間に立ち寄る人は誰もいなくなったのです。
祖母がいたからこそ、みんなが集まり、笑い、愚痴をこぼしに来ていたのだと気付きました。
ぶっきらぼうな祖父や父にはできない役割を、祖母は担っていたのです。
「知らない人がいて嫌だ」としか思えなかった子どものころ。
けれど今は、祖母の役割の大きさを痛感し、涙が出ます。
あの土間のにぎやかさこそ、祖母が生きていた証だったのだと、しみじみ思います。
【体験者:20代女性・大学生、回答時期:2025年8月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Yuki Unagi
フリーペーパーの編集として約10年活躍。出産を機に退職した後、子どもの手が離れたのをきっかけに、在宅webライターとして活動をスタート。自分自身の体験や友人知人へのインタビューを行い、大人の女性向けサイトを中心に、得意とする家族関係のコラムを執筆している。