不登校
私は中学校1年で壮絶ないじめにあい、不登校になりました。
しかし母は不思議とノータッチ。
「学校へ行け」ということもなく、毎朝仕事へ出かける前に「お弁当あるから食べてね~♪」と普通に声をかけてくる感じでした。
父は私が幼いころに他界していたため、母と2人暮らし。
高校進学時も通信に行きたいと言った私の意見に母は何も言わず、「学費の心配はないから」と言っただけでした。
その後、私は無事に高校を卒業し就職。
同僚と結婚し、2人の子どもにも恵まれたのです。
疑心暗鬼
私が不登校の間、母はいつも笑顔で、学校のことや友達のことを聞いてくることもしませんでしたた。
そのおかげで私は外には出られなくても、家の中では安心して過ごせていたのです。
ただ、私は母が自分のことを心配していないのではないか、ほったらかしにされているのではないかと疑心暗鬼になった時期も……。
高校進学・就職・結婚と自分の人生を取り戻していった私に対して、母はいつも笑顔でしたが、60代の若さで他界してしまいました。
過去
ある日長男が急に「学校へ行きたくない」と言い出しました。
私は取り乱し、不登校を解消したいと足掻きまくり!
しかし、そんな私を尻目に事態は悪化。
長男は家でも話さなくなり、半分引きこもりのような状態になってしまったのです。
そこで私が思い出したのは、母の笑顔でした。
あの笑顔があったから、私には自分の居場所ができたんだということ。
ハッとした私は、その日を境に長男にできるだけ笑顔で接するように心がけ、口うるさいことは言わないようにしてみました。
母の凄さ
すると、長男の態度もだんだんと軟化し、学校で何があったのかをポツポツ話してくれるようになったのです!
私は自分が同じ状態になってはじめて、母親の凄さに気付かされました。
私のことを信じてくれていたから、きっと母はいつも笑顔だったのかもしれないと気付くことができました。
疑心暗鬼になっていたのは私の勝手な思い込み。
誰よりも近くで、笑顔で支えてくれた母には、心の底から感謝しています。
きっと不安だったり、追い詰められたりもしたはずなのに……。
自分が親になって初めて、母の凄さを知るなんて、情けないですね。
【体験者:40代女性・パート、回答時期:2025年8月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:RIE.K
国文学科を卒業しOLをしていたが、自営業の父親の病気をきっかけにトラック運転手に転職。仕事柄多くの「ちょっと訳あり」な人の人生談に触れる。その後、結婚・出産・離婚。シングルマザーとして子供を養うために、さまざまなパート・アルバイトの経験あり。多彩な人生経験から、あらゆる土地、職場で経験したビックリ&おもしろエピソードが多くあり、これまでの友人や知人、さらにその知り合いなどの声を集め、コラムにする専業ライターに至る。