親の望む方向で生きてきた日々
子どもの頃から、私は「いい子」でした。
テストはいつも100点。100点が取れないとテストを破ってしまうほど、100点を取ることは私にとって当たり前のことでした。勉強も運動もそれなりにこなす。自分の意見を強く主張することはなく、周囲の空気や親の顔色を見て判断し、進路も自然と親の希望に沿って選んできました。
親からの圧力は激しいものではありません。むしろ穏やかで、気づけば私の考えをそっと誘導するような関わり方。それは反発を生まない代わりに、自分で考える力を少しずつ手放していくことにつながっていました。
大学時代、“推し”に出会った私
転機は大学2年生の夏。
「一緒に行ってほしい」と友人に頼まれ、半ば付き添いのつもりで訪れたライブ会場。
暗転。会場全体が一瞬の静寂に包まれ、次の瞬間、爆発するような歓声とスポットライトの光。
ステージに立つ彼らの姿を目にした瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられるように熱くなりました。音が身体を突き抜け、目が離せない——そんな感覚を初めて味わいました。
その夜は、興奮で自宅に戻っても眠れませんでした。脳裏にライブの光景が焼き付いて離れない……翌日からは、一気に彼らの虜。YouTubeを見漁り、そのうち気づけば誘ってくれた友だちと遠征の計画まで立て全国を飛び回るようになる自分に驚きました。
親の顔色を気にせず、ただ「好き」を優先して動く——そんな自分は、生まれて初めてでした。
結婚で気づいた“親の価値観”からの距離感
二度目の転機は結婚でした。
自分の家庭を持ち、日々の選択を自分たちで決める生活の中で、「親の価値観だけが正解ではない」と自然に思えるようになったのです。もちろん感謝はあります。でも、「私が心から望む私」でいる時間を選んでもいい——そう思えるようになりました。
今も残る“いい子”の癖と、その先
今も無意識に「いい状態の私」を見せてしまう瞬間はあります。それは長年の癖。でも、あの推し活が教えてくれました。誰かの期待に応えるだけでなく、自分の心がときめく瞬間こそが、私を生き返らせるということを。
私自身の気持ちを大切にしようと思えたあの日から、私の人生は私自身のものとして歩き始めた気がします。
【体験者:30代・女性・主婦、回答時期:2025年8月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:K.Matsubara
15年間、保育士として200組以上の親子と向き合ってきた経験を持つ専業主婦ライター。日々の連絡帳やお便りを通して培った、情景が浮かぶ文章を得意としている。
子育てや保育の現場で見てきたリアルな声、そして自身や友人知人の経験をもとに、同じように悩んだり感じたりする人々に寄り添う記事を執筆中。ママ友との関係や日々の暮らしに関するテーマも得意。読者に共感と小さなヒントを届けられるよう、心を込めて言葉を紡いでいる。