人生にはたくさんの分かれ道があります。悩みながらも選んだ道を歩んでいくものの、ふとした瞬間に「もしもあの時、別の道を選んでいたら」と思うこともありますよね。今回は、筆者の知人のエピソードをご紹介します。

悪意のないプレッシャー

30代半ばを過ぎた頃、私の周りの友人たちは次々と結婚し、母親になっていきました。
お祝いを渡すたびに、決まってかけられるのは「次はあなたね」という言葉。
私は20代後半で結婚していましたが、子どもは授かっていなかったからです。

悪気のない笑顔に頷きながらも、その言葉は小さなトゲのように、ずっと心の隅に刺さっていました。

不妊治療も考えたこともありましたが、子どもを育てる覚悟が持てず、最終的には自然に任せることにしました。

夫もその選択を尊重してくれ、結局私たちは「子どものいない夫婦」として歩むことになったのです。

複雑な胸の内

それでも、賑やかな家庭を築く友人たちを横目に、「私の選択は正しかったのかな……」と、自問自答を繰り返したものです。

休日にゆっくりカフェの時間を楽しんだり、思い立って海外旅行へ出かけたり。
そんな自由を謳歌しながらも、SNSで流れてくる赤ちゃんの写真を見ると胸がざわつきます。
街で幸せそうに子どもを抱く友人を見かけた時も、同じ気持ちになりました。

手に入れた自由と、手放した温もり。
その両方を天秤にかけ、心はいつも揺れていたのです。

思いがけない出会いがきっかけに

そんな私の転機は、50代になったある日のことでした。

自治会の役員を引き受けた私は、地域イベントの手伝いで、近所の小学生たちと工作をすることになったのです。

材料を配り、不器用な手つきをそっと手伝う私に、完成した作品を得意げに見せてくれる子どもたち。
彼らに微笑みかけるうちに、私の心に思いがけない温かさと充実感が広がっていきました。

「ああ、そうか。母親でなくても、誰かの成長や喜びに関わることはできるんだ」
そう気づいた瞬間でした。

私が選んだ幸せのかたち

あの日から数年。
イベントで知り合った子どもたちの成長を、近所の住人として見守り続けるのが私の密かな楽しみになりました。

「親になる道を選ばなかったこと」は、もう後悔ではありません。
私の人生は、私がこれまで関わってきた大切な人たちの笑顔で、十分すぎるほど温かい。

そう気づけた時、やっと「親にならない」選択をした自分を、心から肯定できるようになりました。

【体験者:50代・女性会社員、回答時期:2025年6月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:藍沢ゆきの
元OL。出産を機に、育休取得の難しさやワーキングマザーの生き辛さに疑問を持ち、問題提起したいとライターに転身。以来恋愛や人間関係に関するコラムをこれまでに1000本以上執筆するフリーライター。日々フィールドワークやリモートインタビューで女性の人生に関する喜怒哀楽を取材。記事にしている。