親や弟にとっては自然な呼び方でも、名前で呼ばれない事にずっと小さなモヤモヤを抱えていました。ある日、母に「私の名前、覚えてる?」と尋ねたとき──胸の奥にしまってきた思いが、静かにあふれ出しました。
「姉ちゃん」と呼ばれてきた私の幼少期
小さい頃から、私は家族に「姉ちゃん」と呼ばれていました。
弟とは2歳違い。
物心ついたときから、私の記憶の中には弟がいて、私は常に『お姉ちゃん』でした。
おもちゃを取り合って泣いても「姉ちゃんだから譲りなさい」と言われるのが当たり前。
弟が呼ぶなら自然な事かもしれませんが、親までもが私をそう呼ぶのです。
最初は気にしていなかったものの、大きくなるにつれて「役割」として扱われているように感じる事が増えていきました。
便利に使われる呼び方に、名前がかき消されていく
「姉ちゃんだから、我慢して」
「姉ちゃんなんだから、これお願い」
お姉ちゃんという言葉は、とても便利に使われました。
弟の世話や家事の手伝いなど、何かにつけて理由づけにされる。
そう言われるたびに『姉』という肩書きが私の名前を上書きしていくようでした。
気づけば、親からはひとりの子どもとしてではなく『役割』として見られている感覚がありました。弟と比べて「強くあれ」「譲りなさい」と言われる事も多く、胸の奥にモヤモヤが積もっていったのです。
母への問いかけ「私の名前、覚えてる?」
ある日、自分の中で消化できなくなった私は、ふと母に尋ねました。
「お母さん、私の名前……覚えてる?」
母は驚いた顔をして、「覚えてるに決まってるやん」と笑いました。
私も「それならいいんや」と笑い返したものの、そのあとふたりとも黙り込んでしまいました。
冗談のようで冗談にならない問いかけに、母も何かを感じ取ったのだと思います。
リビングに流れた沈黙が、やけに重たく心に残りました。
役割ではなく『ひとりの子』として見てほしかった
当たり前のように使われてきた「姉ちゃん」という呼び名。
もちろん、年上として頼られる事に誇らしさを感じる事もありました。
けれど、それがいつも『うれしい』とは限らないのです。
特に親に対しては、役割ではなく「私」という存在を見てほしい──そう願いながらも、口に出せずにきた気持ち。
これは、名前で呼ばれなかった私の、小さな葛藤の話です。
【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年8月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。