久しぶりに帰省した娘さんから「お母さん、私の名前、覚えてる?」と投げかけられた一言。
その冗談めいた言葉に、胸を締めつけられるような後悔を覚えた出来事です。
「お姉ちゃん」と呼ぶのが当たり前に
Aさんには娘と息子がいます。
体が弱ってからは、娘が何かと手伝ってくれるようになり、帰省のたびに顔を出してくれました。
そんな娘に、Aさんは昔から「お姉ちゃん」と呼びかけていました。
弟が生まれてからは、自然と「お姉ちゃん」と呼ぶのが当たり前になっていました。
忙しさにかまけて、呼びやすいその言葉を多用するようになったのです。
「お姉ちゃん、これお願い」「お姉ちゃん、あれ取って」
気づけば、娘の名前を口にする機会はほとんどなくなっていたのです。
娘の冗談めいた一言にドキリ
ある日、久しぶりに帰省した娘から、冗談のように「お母さん、私の名前、覚えてる?」と笑いながら言われました。
言い方の軽さとは裏腹な彼女の真剣なまなざし。
「何を言ってるの。覚えているに決まっているでしょう?」
口では笑って返したものの、心臓が一瞬止まったような気がしました。
笑顔を返しながらも、その言葉は耳に残り、胸のざわめきは消えませんでした。
私はいつから、この子の名前を呼ばなくなってしまったのだろう……
置き去りにしてきた『名前』
改めて振り返ると、日常の中で「お姉ちゃん」という便利な呼び方に頼ってきた自分に気づきました。
まさしくそれは、娘の『名前』を置き去りにしてきたことでもあります。
名前を呼ばれない寂しさに、この子はどれだけ傷ついていただろう。
小さな違和感や寂しさが、何十年も心に積み重なっていたのかもしれません。
そのことに思い至った瞬間、Aさんの胸は締めつけられ、後悔の念が込み上げてきたのです。
胸に残ったのは年月の重み
それ以来、Aさんは意識して娘の名前を呼ぶようにしています。
けれど長年の習慣から、口をついて出そうになるのは、やっぱり『お姉ちゃん』なのです。
ああ、私はこうやってこの子の名前をないがしろにしてきたんだな……
あんなに大切につけた名前なのに、口にする習慣を失っていたなんて。
今は一音一音を大事に呼びかけることが、娘との距離を埋める小さな橋になるのだと感じています。
軽い冗談に隠れた、娘の小さな訴え。
その意味に気づいたとき、胸に残ったのは名を呼ばなかった年月の重みでした。
【体験者:50代女性・女性主婦、回答時期:2025年8月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。