都会では「顔すら知らない隣人」が当たり前だった筆者の知人A子。でも、地方での「近すぎる距離感」に少し息苦しさを感じていたそうです。
なんとなく心がざわつく毎日──。
けれどある出来事がきっかけに、その感覚が少しずつ変わり始めたといいます。一体何があったのか、A子から話を聞きました。

ご近所さんが近すぎて、とまどう日々

夫の転勤で地方の小さな町に引っ越したのは数ヶ月前。

首都圏では、隣に誰が住んでいるのかも知らない生活が普通だったので、スーパーで「今日はお魚?」と話しかけられたり、ゴミ出しが少しズレただけで「昨日どうしたの?」と声をかけられたり……。

その「距離の近さ」に、私は戸惑いを隠せませんでした。

どれだけ気をつかっても、なんだかしっくりこない毎日

「できるだけ目立たずに、波風立てずに」と心がけていても、地域の集まりや清掃活動には「新人」として参加しなければなりませんでした。

断れば「付き合いの悪い人」と思われてしまいそうで、ますます神経をつかうように。

なかなか馴染めない自分に、次第に自己嫌悪が募っていきました。

「もう、都会に戻れないかな」そんなふうに本気で夫に相談したこともあったのです。

苦手なあの人に救われた瞬間

ある日、自宅近くを愛犬と散歩していたときのこと。

突然、愛犬が力が抜けるようにうずくまり、まったく動けなくなってしまいました。血の気が引くような不安に襲われました。

何もできず立ち尽くすしかなかった私。

すると普段ちょっと苦手に思っていた近所の中年の女性が

「乗りなさい」

と声をかけてくれたのです。

車に乗せてくれた女性は「昔うちも犬飼ってたからね、放っておけないのよ」と言ってくれ、動物病院へ送ってくれました。

幸い、愛犬は大事に至らずホッと一安心。

帰宅後、玄関先には女性が置いていった「犬、元気になった?」との手書きのメモとおやつがありました。

思わず胸がじんわりして、涙が出そうになりました。

「見られている」のではなく、「気にかけてくれていた」と気づいた瞬間

そのとき、気づいたのです。表面的に干渉に思えていた近所付き合いの奥には、ちゃんとした優しさがあったのだと。

「ひとりじゃない」と感じられる安心感は、都会では得られなかったもの。

今では近所の人たちにも自然とあいさつができるようになり、週末の小さな行事も、少しだけ楽しみに思えるようになりました。

【体験者:30代・女性主婦、回答時期:2025年7月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Yumeko.N
元大学職員のコラムニスト。専業主婦として家事と子育てに奮闘。その傍ら、ママ友や同僚からの聞き取り・紹介を中心にインタビューを行う。特に子育てに関する記事、教育機関での経験を通じた子供の成長に関わる親子・家庭環境のテーマを得意とし、同ジャンルのフィールドワークを通じて記事を執筆。