筆者の話です。
「それくらいやってあげたら?」なんて言っていた独身時代の私。
結婚してようやく、毎日の“積み重ねの疲れ”に気づきました。

独身時代「結婚」に夢を見ていた

当時、独身だった私は、結婚している友人の愚痴を聞くたび、ついこう言ってしまっていました。
「え、でもそれくらいやってあげたら? 私なら、そういうのも愛しいけどな」
脱ぎっぱなしの服や、洗っていない食器……どれも“結婚生活の可愛い一部”だと、どこかで思っていたのかもしれません。

いざ、自分が結婚してみると……

ところが、いざ自分が結婚してみると――“生活”は、イベントじゃなくて、365日続く地道な作業の連続。家事の役割分担や生活リズムの違い、ちょっとしたことがストレスになる日も。

夫は「置いてあるのに気づかないだけ」「あとでやろうと思ってた」と言うけれど、私からすると“なんでその場でやらないの?”という気持ちがぬぐえませんでした。
そんなことで喧嘩なんてしないと思っていたのに、「どうして自分で片づけないの」と言い合いになることもあります。
脱ぎっぱなしの靴下一つに、心の中で小さくため息をついている自分に気づいたとき、思い描いていた“理想の結婚”とのギャップに、ひとりでがっかりするような気持ちになりました。

「毎日って、こんなに疲れるんだ……」

ある日、家事と仕事の両立に心が折れそうになった私は、ふとあの友人の言葉を思い出しました。「服の脱ぎっぱなしがストレスでさ」

あのときは分からなかった。
でも今なら、その気持ちが痛いほどわかります。

手を抜きたいのに、抜けない。
自分だけが気づいて、気にして、片づけているような気がしてしまう。
本当は、そんなに頑張らなくてもいいはずなのに、なぜか“ちゃんとしなきゃ”って思ってしまうのです。
気づけば、いつの間にか“完璧な妻像”に自分を縛っていたのかもしれません。

どうしても話したくなって、私は思わず彼女に連絡をしました。
そして久しぶりに会った席で、素直な気持ちを口にしたのです。
「ごめん、あのときは分かってなかった。今ならわかるよ」

笑い合えた、あのひと言

すると彼女は、笑いながらこう返してくれました。
「でしょ〜 !? 私、ずっと言いたかった!」
私たちは顔を見合わせて、大笑い。

あの頃の私には見えていなかった“日常の重み”を、今はふたりで分かち合える。
実際に経験してみなければわからなかったこと。
肩の力が少し抜けたような、あたたかい時間でした。

【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年8月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。