かつては、結婚記念日に花やプレゼントを交換していました。
けれど今では、少しちがう“意味のある日”になっています。
その形に落ち着くまでには、私たちなりの理由がありました。
最初は「おめでとう」の日だった
転勤族の夫とふたり暮らしで、こどもはいません。
新婚のころは、結婚記念日にはディナーに行って、花をもらって、結婚式で使ったキャンドルを灯して……なんて、ちょっとロマンチックなことを想像していました。
当時は、記念日を大事にしようと、私も一生懸命プレゼントを用意していたのです。
「お祝い」をやめたわけ
でも、年を重ねるうちに、記念日を忘れたり、仕事の都合で日にちがずれたりすることが増えました。
外食もプレゼントも、結局は家計から出しているわけで「お祝い」と言いつつ実感がわかない。
どちらかが忘れると喧嘩になり、雰囲気最悪のまま周年スタートを迎えることに。
それに、結婚式でもらった数字入りのキャンドルを数年分まとめてベランダで灯したことがあって。
年数を消すまでに思った以上に時間がかかり「何してるんだろう」と、少しむなしくなったことを覚えています。
本来は喜ばしい日だったはずなのに、なぜか毎年、疲れるイベントのように感じるようになってしまったのです。
そんなこんなで、お祝いの習慣は、やめることにしました。
「祝う日」から「確認する日」へ
とはいえ、まったく何もないわけではありません。
ふとしたときに、私たちはお互いにこう言い合うようになりました。
「よく〇年もったよね」って。
「おめでとう」ではなく「ここまで続いたね」と労い合う日。
夫婦というより、同じ舟に乗ってきた仲間のような感覚に近いのかもしれません。
最初のころのような特別感はないけれど、今のほうが自然で、肩の力が抜けている気がします。
期待しないって、案外平和
今では、記念日にこだわらず、思い出したほうが「もう〇年経ったね」と声をかける。
「何かしなきゃ」「忘れちゃいけない」といった義務感がないぶん、心に余白が生まれました。
形に残る贈り物やイベントはないけれど、それでもいい。
これが、私たちなりの“続け方”なんだと思います。
期待しないって、案外、平和だったりするものですね。
【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年7月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。