筆者の話です。
ありがたいのに気後れしてしまう、伯母との関係。
うれしいのに、ちょっとしんどい──そんな気持ちの揺れがあるのです。
ありがたいのに気後れしてしまう、伯母との関係。
うれしいのに、ちょっとしんどい──そんな気持ちの揺れがあるのです。
やさしさが“借り”になっていく
何度か「ここは私に払わせて」とお願いしたこともあります。
けれどそのたびに、伯母はにこやかに「伯母さんの顔を立ててね」とやんわり断るのです。
感謝の気持ちはあります。
それでも伯母は年金生活。
無駄遣いはさせたくない。
恩返しをしたい気持ちはあるのに、言葉にすると角が立ちそうで、つい受け取るだけになってしまいます。
そんな自分が、ますます“子ども扱い”されているようで落ち着かないのです。
少しずつでも、自分が「払う側」にならなきゃ。
そんな思いも強くなっています。
ありがたい。でも難しい
気を遣わせたくないし、無駄遣いもさせたくない。
それでも、伯母のやさしさに気後れしてしまい、まだ十分に返せていないのに“借り”のようなものが積み重なっていく気がして。
会いたいのに、申し訳なさが勝ってしまい、最近は伯母宅を訪ねる回数が減りました。
ありがたいのに、難しい。
会いに行くと喜んでくれる。
それが恩返しなのかもしれません。
けれど、やっぱり形として返したい気持ちが残ってしまうのです。
【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年7月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。