筆者の話です。
ありがたいのに気後れしてしまう、伯母との関係。
うれしいのに、ちょっとしんどい──そんな気持ちの揺れがあるのです。

伯母との特別なつながり

伯母には息子が二人いて、娘はいません。
そのせいなのか、私は昔から特別にかわいがられてきました。

小さい頃は、伯母の家に遊びに行くたび「出かけようか」と声をかけられ、洋服を買ってもらったり、おいしいものをごちそうしてもらったり。
「なんでも好きなものを食べなさいね」
そんなやさしい言葉とともに、いつもたっぷりの愛情を注いでくれました。

娘のいない伯母にとって、私との時間は少しだけ特別なのかもしれません。

うれしさと気後れのあいだ

今でもその関係は変わりません。
伯母の家は子どもたちも自立し、生活にも余裕があります。
経済的に困っていないことも、私は知っています。

けれど、私ももういい年齢。
今は「ありがたいな」と思う一方で「申し訳ないな」と感じることも増えてきました。

先日も、お墓参りの帰りに立ち寄っただけだったのに「お昼に行きましょう」と誘われて、高級ランチのお店へ。
「おいしいものを食べると元気が出るでしょ」
そんな笑顔を見せられると、つい「払います」とも言えなくなってしまいます。

やさしさが“借り”になっていく

何度か「ここは私に払わせて」とお願いしたこともあります。
けれどそのたびに、伯母はにこやかに「伯母さんの顔を立ててね」とやんわり断るのです。

感謝の気持ちはあります。
それでも伯母は年金生活。
無駄遣いはさせたくない。
恩返しをしたい気持ちはあるのに、言葉にすると角が立ちそうで、つい受け取るだけになってしまいます。
そんな自分が、ますます“子ども扱い”されているようで落ち着かないのです。

少しずつでも、自分が「払う側」にならなきゃ。
そんな思いも強くなっています。

ありがたい。でも難しい

気を遣わせたくないし、無駄遣いもさせたくない。
それでも、伯母のやさしさに気後れしてしまい、まだ十分に返せていないのに“借り”のようなものが積み重なっていく気がして。

会いたいのに、申し訳なさが勝ってしまい、最近は伯母宅を訪ねる回数が減りました。
ありがたいのに、難しい。
会いに行くと喜んでくれる。
それが恩返しなのかもしれません。
けれど、やっぱり形として返したい気持ちが残ってしまうのです。

【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年7月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。