けれど筆者の知人A子は、人生のある時点でふと立ち止まり、「これでいいのだろうか」と問いかけたくなる瞬間が訪れたと言います。
子育てが一段落し、自分と向き合えるようになった頃、そんな彼女を動かした、ある出来事について語ってくれました。
家族のために生きてきた日々
私はずっと、家族のために生きてきました。夫のサポート、子どもたちの学校行事、親の介護。自分のことはいつも後回し。でも、それがつらいとは思っていませんでした。
「私のことは最後でいい」そう信じていたし、誰かの役に立てる日々に、誇りや喜びすら感じていたのです。
けれど、ある日ふと気づきました。「私は何を楽しみにしているんだろう」と。
誰かの人生を支えることに夢中だったけれど、ふと立ち止まったとき、自分自身の楽しみや、心が動くような何かが思い浮かばなかったのです。
ようやく訪れた「余白」と、突然の知らせ
40代後半。子どもたちは独立し、孫にも会えるようになりました。少しだけ、自分の時間ができ始めた頃。
「趣味でも始めてみようかな」そんなふうに考えていた矢先、かつての職場の同僚が突然亡くなったという知らせが届きました。
「あとで」にしすぎていたこと
その同僚は、まだ50代。健康にも気を配っていた人でした。
「人って、本当に突然いなくなるんだ……」
彼女はかつて、「定年後に旅行したい」「趣味を再開したい」とよく話していたそうです。「昔好きだった油絵も描きたいし、海外にも行きたいの」と笑っていた姿が、今も心に残っています。
でも、それらはすべて「あとで」にされたままでした。
「私も、同じことしてるかもしれない」
気づけば、そんな言葉が自然と出ていました。
「あとで」より「今」を大切にしたい
それから私は、「会いたい人には今会う」「やってみたいことは今やる」と決めました。やりたかったピアノを弾き、旧友にも連絡。どれも、今だからこそできたことです。
「今をちゃんと生きよう」
そう思ったその瞬間、気持ちがすっと軽くなりました。
今こうして毎日を大切にできているのは、あの同僚が私に教えてくれた気づきのおかげだと思っています。
自分の「好き」を少しだけでも大切にすることで、毎日が静かに、でも確かに変わっていくのを感じています。
【体験者:40代・女性主婦、回答時期:2025年7月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:Yumeko.N
元大学職員のコラムニスト。専業主婦として家事と子育てに奮闘。その傍ら、ママ友や同僚からの聞き取り・紹介を中心にインタビューを行う。特に子育てに関する記事、教育機関での経験を通じた子供の成長に関わる親子・家庭環境のテーマを得意とし、同ジャンルのフィールドワークを通じて記事を執筆。