子供の頃にたくさんの習い事をしていた私。
その価値を本当に理解できたのは、大人になってからでした。
自分が親になった今、「経験を贈ること」の意味と、親が私に注いでくれた想いの深さに改めて気づかされた出来事です。
習い事だらけの子供時代
子供のころの私は、とにかく習い事づくしの毎日を送っていました。
ピアノ、水泳、お習字、空手、体操……。放課後はいつもどこかの教室へ。
「また今日もかぁ」と思うこともありましたが、行ってしまえばそれなりに楽しく、あまり深く考えずに通っていました。
大人になって気づいた“見えない財産”
そんな習い事の日々が、今になって確かな力になっていたことに気づきました。
たとえば水泳。学校の授業だけでは泳げなかった私も、習っていたからこそ自然に泳げるように。
字がきれいだと褒められるたび、お習字の時間がよみがえります。
そして空手で身につけた「礼に始まり礼に終わる」という姿勢は、今の人間関係でも生きています。
嫌々だったピアノが“親子の時間”に
中でもピアノは、あれほど嫌々やっていたのに、今では子供に弾いてあげると息子が楽しそうに歌を口ずさみ、私の心もあたたかくなる瞬間があります。
自分の経験が、こうして親としての時間に繋がっていることに、少し感動すら覚えました。
立ちはだかる“月謝”の現実
「この子にもいろんな経験をさせてあげたい」そう思ったとき、ふと現実に立ち止まりました。
通わせたい習い事はいくつもあるけど、どれも月謝がかかる。すべてを叶えるのは家計的に厳しい。
そこでようやく、私の親がどれだけの想いと覚悟であれほどの習い事をさせてくれていたのかに気づいたのです。
経験は、未来への贈りもの
子育て中の私たちは、何かと不安が尽きません。
でも、今の経験がきっといつか子供の力になると信じること。
完璧じゃなくてもいい、自分にできる範囲で何かひとつでも「経験というプレゼント」を贈ってあげられたら、それだけで十分なのかもしれません。
そして、子供が大人になったとき、「あの経験が今の自分をつくっている」と思える日が来ると信じて。
【体験者:40代・筆者、回答時期:2025年7月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:北田怜子
経理事務・営業事務・百貨店販売などを経て、現在はWEBライターとして活動中。出産をきっかけに「家事や育児と両立しながら、自宅でできる仕事を」と考え、ライターの道へ。自身の経験を活かしながら幅広く情報収集を行い、リアルで共感を呼ぶ記事執筆を心がけている。子育て・恋愛・美容を中心に、女性の毎日に寄り添う記事を多数執筆。複数のメディアや自身のSNSでも積極的に情報を発信している。